障害を持つとは?

先に愛の行動について記載してきている。愛の行動のレベルが上がっていくと、発達課題を見る・特定する、などの行動もあるし、カルマを見るなどの行動もある。つまり、愛の行動とは、表面的な優しくする、笑顔で接する、声をかける、だけではないということだ。もっともっと奥深くまで、相手と対峙することを愛の行動と呼ぶ。本当に相手の奥の奥までとかかわっていく、つまりは魂レベルでかかわっていくことが出来れば、本当に心は震えるし、相当なエネルギーが動くことになる。ぜひ、このレベルの愛の行動に達してもらいたいと思い、順番に愛の行動の科目について記載していく。

 

今回は、少し番外編のようになるが、障害を持つとは?について記載したい。

 

・障害を持つとは?

生まれつき障害を持つとはどういう意味なのであろうか?人生なので、必ずそこには意味があるのだから。なぜなら、肉体に幽霊・魂が宿るのであり、障害者というのは、健常者よりもより不自由な肉体になることが生まれつきわかっている肉体に、わざわざ選んで幽霊・魂が入り込むということだ。その幽霊・魂はもちろんわかっていてそこに入り込む。ということで、必ず何か目的があるから、わざわざ入り込むのだ。

 

例えば、LD(学習障害)として生まれてきたとしよう。つまりは、学習に際しての何かにフォーカスして課題をもつ肉体ということだ。そこにはどんな幽霊・魂が入り込むのであろうか?もしかしたら、過去世にて一切勉強せずに落ちこぼれとなり、不良となってしまい、そのまま悪事を働いて殺されてしまったのかもしれない。そのような過去世であれば、今世は逆に、必死で勉強しよう!と意を決して肉体に入り込むはずだ。健常者であれば100年人生の設計をして、子供からスクスク育ち、大人になり結婚し、仕事でもして活躍し、老人になって、ようやく人生を振り返るのだろう。このようなリズムでは遅すぎる!と感じた幽霊・魂は、もっと早々に学習に特化した課題に気づき、クリアしてもらいたい!と切に思ったとしよう。すると、学習障害者の肉体に入り込んだ方が、目的を達しやすい!と考えるだろう。

 

こうして、幽霊・魂は障害者の肉体に入り込むのである。つまり、生まれつき障害者で生まれるということは、特化したい目的がある人!ということだ。細かな目的はそれぞれ違うであろうが、大きくは、”学習”にかかわる課題を今世でどうしてもクリアしたい!ということなのであろう。これが生涯目標となり、子供のころから、結構詰め込んだ課題を肉体に与えていく。つまりは、つらい思いをする、どうしても学習せねば生きていけないという所まで追い込む、などのイベントが続くのだ。こうして肉体をギリギリまで追い込むイベントが目白押しとなる。何とかそれらのイベントをクリアでき、かろうじて生き続けたならば、今度は課題クリアのためのイベントが用意されている。何かのキッカケで、ふと学習に対する可能性を見出すのだ。あ!これならいける!というイベントがキッカケとなり、そこから一気に課題をクリアしていき、最終的には健常者と同じく、まったく支障なく社会で生きていけるくらいにまでなるというストーリーなのかもしれない。

 

LD(学習障害)といえば、トム・クルーズが有名だ。トム・クルーズ自身は、アルファベットの「b」と「d」の見分けがつかず、読み書きができなかったという。これを克服するまで、母親やアシスタントが台本を読んでそれを聞き、セリフを暗記して映画撮影にのぞんでいた。周囲のサポートがあったからこそ、トム・クルーズがあそこまでいけたのであり、そうでなければあそこまで辿り着けなかっただろう。つまり、トム・クルーズ自身の過去世のカルマとして、”学習”にかかわる課題だけでなく、”周囲からサポートされる・感謝する”という課題があったのかもしれない。過去世に一切勉強せず、悪事を働き、人に感謝をすることもなく、死んでしまったのかもしれない。今世こそは、学習しよう!人に感謝しよう!という課題を決意し、肉体に入り込んできたのかもしれない。そうすると、その決意どおりにストーリーが展開されていく。つまり、子供のころに文字が読めずに苦労して、それを支えてくれる母親がいて、周囲の人がいて、そしてあふれんばかりの感謝の気持ちを覚えるという具合だ。こうしてトム・クルーズ自身、見事に課題を克服したのであった。

 

 

他には、知的障害として生まれてきた人の場合はどうだろうか?そこにはどんな目的があるのだろうか?先の学習障害に比べてもっと重い症状だが、そこには必ず”知”に関する課題があるのは明白だ。それ以外にどんな課題があるのか、人それぞれであろうが、必ず何か課題があるはずだ。例えば、過去世で学者を目指していたが夢半ばで諦めてしまい、結局は何も成しえずに死んでしまったとしよう。今世こそは学者になりたい!困っている人を自分の学んだ”英知”を生かして助けたい!という夢を実現させる決心した幽霊・魂が入り込んだとしよう。すると、その決心どおりのストーリーが展開される。子供の頃には知的障害ゆえに、お金も扱えず、買い物もできないために社会に出ることができない。しかし、何かのキッカケで、お金を数える方法を見出したとしよう。そこから一気に社会に出て買い物もし、社会の情報の流れなども知り、数字を使って理解する方法を覚えたとしよう。

 

何か”数字”にかかわる課題から、情報を理解するヒントが生まれるハズだ。先のトム・クルーズは目で見て文字を読むことはできなかった。しかし、耳から音として聞く分には理解できた。このように5感のどこかが突出して機能するようなケースも障害者には多い。仮に”数字”という課題は目からの情報だが、あらゆるものを数字に置き換える工夫ができたのならば、いろんな情報を理解できるようになるのかもしれない。そこから”統計学”のような学問に興味が湧き、最終的に統計学者というところにまで辿り着き、人々を自分の英知で救いたいという夢が実現するかもしれない。

 

 

いかがであろうか。生まれつきの障害者は健常者とは違い、劣っている!などの考え方はあまりにも愚かで、稚拙であることが上記で理解できるだろう。そうではないのだ。むしろ、わざわざそのような肉体を選んで入ってきてくれる幽霊・魂は、徳のある魂なのであり、転生回数も多く、位の高い魂であることが多いのだ。よって、逆かもしれない。健常者よりも障害者のほうが位が高い魂なのであり、すごい魂なのだ!こう考えていくことで、まずは偏見はなくなるのではないか。

 

偏見がなくなれば、公平にみて、この人の課題は何なのだろう?と考えることが出来るようになるだろう。コミュニケーションは取りづらい、意志疎通ができない、などの苦労はあるが、何かキッカケで、ストーリーは一気にクライマックスへ向かう可能性もある。ぜひ、”魂”という目線で人を見ると、いろんな既成概念が取っ払われるであろう。皆がそうなることを願う。