人生の後半戦である中年期について 土(陰)⇒火(陰)

今回も、組織の中盤戦からいよいよ後半戦のレールに乗ることについて見ていきたい。

 

先まで、人生と同じように、組織も100年設計とすれば、目標設定や発達段階への対処が可能となり、100年設計するために組織の存在目的やマネジメントを今一度、すべての組織がやり直しを迫られていることを記載してきた。組織には、人生と同じで発達段階というものがある。エリク・エリクソンの発達段階モデルに沿って見てくととても良く当てはまるのであった。

 

○組織の発達段階

第1~3段:導入期①意志キャラクタに乗る(0~6年目)衝動型組織 ”自立”vs 罪悪感

第4段:導入期②表面キャラクタに乗る(7~12年目)順応型組織 ”勤勉性”vs 劣等感

第5段:導入期③本質キャラクタに乗る(13~19年目)達成型組織 ”自我確立”vs 自我拡散

第6段:成長期 グループに乗る(20~39年目)多元型組織 ”親密性”vs 孤独

第7段:成熟期 レールに乗る(40~64年目)進化型(ティール)組織 ”世代性(伝承)”vs 停滞

第8段:安定期 老年レールに乗る(65~84年目)分散型(ブロックチェーン)組織 ”統合性”vs 絶望

第9段:衰退期 全てを超越する(85年目~)個人の集合体組織 ”老年的超越”vs 死

 

組織の後半戦はというと、成熟期(40~64年目)だ。ここにしっかりと乗っていけるかどうかを見ていきたい。そのためにも、今一度、人生の中年期(40~64才)を見ることで、参考にしたい。特に移行しやすいケースである相生の関係に注目してみたい。というのも、先に人生の後半戦で相剋の関係については見てきた。相剋の関係は高い壁ということで、どうやって乗っていけば良いのか?というのを見てきたが、相生の関係はスムーズに乗れるはずであり、乗れないのなら何かが悪いということだ。その何かがとても分かり安いので、極めて参考になるということだ。

 

 

例: 相田 みつを  個性:”胎”、グループ:土(陰)、レール:火(陰)の場合

①ホップ:生家は鑁阿寺(ばんなじ)の東に位置していた。旧制栃木県立足利中学校在学中に書や短歌、絵に親しみ、卒業後は歌人・山下陸奥に師事した。1942年、歌会で生涯の師となる曹洞宗高福寺の武井哲応と出会い、在家しながら禅を学ぶ。

②ステップ:1943年、書家を志して岩沢渓石に師事、本格的に書の修行を積んだ。1953年3月、関東短期大学夜間部国文科卒業。相田は書の最高峰のひとつとされる毎日書道展に1954年から7年連続

 入選するなど、技巧派の書家として出発した。

③ジャンプ(臨界点):1974年、教えを受けていた紀野一義のベストセラー『生きるのが下手な人へ』で紹介され、さらに1984年、詩集『にんげんだもの』出版が契機となり、広く知られるようになった。『にんげんだもの』はその後ミリオンセラーとなり、つづく第2詩集の『おかげさん』(1987年)も約25万部のベストセラー、地位を確立した。詩人の杉山平一は「相田みつをを詩人として認めるべき」であり「大勢の人に相田作品が読まれている現実を、無視するわけにはいかないでしょう。むしろ詩人は、独りよがりになりすぎた現代詩の反省材料として、相田ブームを見るべきではないか」と述べる。

④着地:作品に対して妥協を許さず、「逢」というたった一文字を書くために何百枚何千枚と紙を使用したり、印刷のわずかなズレや墨の色の微妙な違いから印刷済みの色紙千枚がボツになったこともあったという。挫折を乗り越えてつくりあげられた作品には自らの実生活が重ね合わされているのが特徴である。作家の立松和平は相田を「思想の語り部」と評し、「難しい言葉を一つも語らないで、仏教の根本的な哲理のようなものを語ってしまう。そして、それを読んだ人に『なにかが残る』んですね。残る――ということは、その先の世界があるということです」と語った。

⑤立上がる:1991年、道でころんで足を骨折し、足利市内の整形外科に入院したが、脳内出血と診断され、それが原因となり急逝。最期まで仕事への意欲は衰えず、「一文字を書いた大作だけを集めた展覧会を開きたい」というのが、長男・一人との最期の会話になった。67歳没。

 

 

例: 美川 憲一  個性:”墓”、グループ:土(陰)、レール:火(陰)の場合

①ホップ:古賀政男の指導を受け、1965年、「だけどだけどだけど」で歌手デビュー。デビューは青春歌謡路線であり、当時は男装・美少年キャラクターであった。芸名の「美川」は岐阜県を流れる木曽川揖斐川長良川の3つの美しい川にちなむ。

②ステップ:1966年、北海道出身で、柳ヶ瀬で流しをしていた宇佐英雄が作詞・作曲した「柳ヶ瀬ブルース」が120万枚を売り上げるヒット。この曲のヒットにより美川はムード歌謡・演歌路線へとシフトを変えていくこととなる。

③ジャンプ(臨界点):1972年、「さそり座の女」が発売される。9.7万枚を売り上げるヒット曲となり当時の星占いブームのきっかけとなった。「さそり座の女」以降は目立ったヒット曲がなく1974年の『第25回NHK紅白歌合戦』まで7年連続で紅白に出演していたが、翌1975年の『第26回NHK紅白歌合戦』で落選。 

④着地:1977年に「駅」が発売された。ドラマのエンディングに使用されたこともあり発売後は有線リクエストでも上位にランキングされ美川にとって久々のヒット曲になるかと言われたが、この年の10月に大麻取締法違反で逮捕され、起訴猶予となったが、その後もヒットに結びつくことはなかった。
⑤立上がれず:1980年代終盤、ものまねブームのさなか、ものまねタレントの第一人者であるコロッケによる美川のマネがうけ、1989年正月に放送された『オールスター爆笑ものまね紅白歌合戦!!』でコロッケと初めて共演をした。これは男性タレントとしては曲の途中でサプライズで登場する「ご本人登場」の第1号であった。この時の出演が大きな反響を呼び美川の人気が復活するきっかけとなった。またNHK紅白歌合戦には、復帰出演の1991年から2009年まで19年連続出場(通算では26回出場)し、小林幸子との派手な衣装対決で毎年話題を集めた。

 

 

ここで何に気付いたかというと、相田みつをさんはしっかり火(陰)に乗れているなあ!と感じる。一方、美川 憲一さんはやっぱ火(陰)には乗れていないなあと感じる。この違いが何か?そう、火(陰)に乗るためには先に土(陰)に乗って、土(陰)からジャンプして火(陰)に乗る。そして土(陰)⇒火(陰)は、相生の関係ゆえに乗りやすい軸である。
 
相田みつをさんは、書の最高峰のひとつとされる毎日書道展に1954年から7年連続入選するなど技巧派の書家として出発し、詩集『にんげんだもの』出版が契機となり、つづく第2詩集の『おかげさん』も約25万部のベストセラーとなり地位を確立した。コツコツと文字を書き続けてきた結果であり土(陰)らしい。ここから火(陰)に移行していくのだが、作品に対して妥協を許さず、「逢」というたった一文字を書くために何百枚何千枚と紙を使用したり、印刷のわずかなズレや墨の色の微妙な違いから印刷済みの色紙千枚がボツになったこともあったという。ここまでくるともはや職人を越えて達人であり、挫折を乗り越えてつくりあげられた作品には自らの実生活が重ね合わされているのが特徴で、とにかく心に響く。作家の立松和平さんも、「難しい言葉を一つも語らないで、仏教の根本的な哲理のようなものを語ってしまう。そして、それを読んだ人に『なにかが残る』んですね。」と語るほど、とにかく心に残る。火(陰)らしい情熱が作品に込められているためである。

そこが美川憲一さんと大きな違いで、美川さんは最初はコツコツと登りつめて紅白歌合戦に7年連続出場などする大物歌手であった。しかし、大麻取締法違反で逮捕されてから地に落ちていく。落ち切ってボロボロになっている時にものまね大者・コロッケにものまねされて以来、復活をとげる!復帰して以来、紅白歌合戦に1991年から2009年まで19年連続出場(通算では26回出場)し、小林幸子との派手な衣装対決で毎年話題を集めるほどになったのは土(陰)の地道な努力の賜であろう。しかし、火(陰)はどうしても移行できなかった。理由は19年連続で紅白歌合戦に出場しているにもかかわらず、曲は、さそり座の女、という代表曲を何度も歌ったり、新たに曲を情熱をもって創り出していったわけではなかった。さらに、ずっと後ろめたさを引きずっており、新たな芸術にチャレンジするという意欲も見せていない。これではなかなか火(陰)には乗れない。火(陰)とは情熱!情熱をもって自分の好きな事にチャレンジする熱い熱い心であるから。

ただ、言えることは、二人ともしっかりと土(陰)には乗れている!コツコツと地道にスキルを高めて息の長い活動をしているところはまさに土(陰)!そのため込んだスキルを活かして火(陰)へジャンプしたいが、このジャンプもそこまでハードルは高くないハズである。もう既にあるスキルを何か自分がチャレンジしたい分野に集中させ、情熱を注ぐだけでよい!この情熱が湧いてくる分野が見つかっていればの話だが。自分を知って、内に秘めたる情熱を、いざ開放する時なのだ!

 

 

いかがであろうか。今回は、人生の後半戦であるレールに乗るということについて見ていきたいのだが、相生の関係は、人生の後半戦であるレールと補完関係であるため、グループ⇒レールというハードルが低いということになる。その分、しっかりとグループに乗っていないと、レールに乗れないということになってしまうので、要注意なのだ。このことをしっかりと理解して、きちんとグループの時期から乗っていくことを目指してほしい。