第6次元:日本国という生命体の目標設定について③

先までは、第1~10次元における方向性について見てきた。今度は、具体的な目標設定にまで踏み込んでみたい。目標設定が出来れば、どうやって行動すれば良いか、メドが立つのであろうから。

 

なお、繰り返し記載するが、我々は1つの次元だけに意識を置いているようでは、上手く立ち回ることができない。常に4つも、5つも、多ければ10もの次元を同時に意識していくことで初めて、上手く立ち回ることが出来るのである。それゆえ、これから1つずつ、各次元での目標設定の立て方を記載していくので、実際にやってもらいたい。同時に意識していくことはとても難しいのだが、やっていくことで少しは慣れて出来るようになってくるのだから。

 

今回も、第6次元:日本国の目標設定の続きを見ていきたい。先に、課題を見いだし、その課題を解決するための道しるべを見いだし、いかにして目標設定をするかということを記載した。

 

道しるべとして、最もパワーを生み出すのは祭りであったり、人の集まりによる団結であったりするのだろう。その繋がりが遮断されると、日本国は弱体化していくと言える。今、日本国の最大の問題は、この人と人の繋がりが遮断されているということなのだろう。人の密集状態はむしろ良い状態なのであって、機能・権力が集中するのが良くないのであろう。

 

首都機能移転について 以下、こちらより抜粋。

そもそも日本の政治と経済の中心が東京に集中したのはどういう背景によるのであろうか。昔は政治の中心が江戸で、精神的な中心が京都にあっても、誰も不思議に感じなかった。江戸と京都は東海道をはじめとして人の往来があったから、それなりに活性化された面があったが、明治の時代になってからは、何か一方通行になってしまったような感じがする。あの頃の日本の指導者たちは、東京にヨーロッパを持ち込もうと考え、ヨーロッパ風の建物を建てたり、鹿鳴館でダンスパーティーを開いたりした。欧米に追いつこうという熱心さが、結果として東京一極集中を生み出すことにつながっていったのではないだろうか。

 

また、第二次世界大戦中、当時の商工省(現在の経済産業省)が中心になり、日本を活力ある国家にするために、東京が頭脳になり地方は手足となるようにした政策上の理由によるものが大きな要因なのではないか。さらに、様々な業界団体の全国組織を作らせてその本部を東京に置くことで、東京で出された指令を受けて地方が動く仕組みにしたのも、その要因でもある。

 

東京への一極集中を緩和させることは国際競争力の低下につながると懸念する人もいるかも知れないが、そうとも言えない面もある。アメリカの資産家番付で、ニューヨークに在住する人は一人もいないのであろう。日本の資産家も同様で番付の上位に名前が挙がる人は東京にはあまりいない。なので、東京への一極集中の緩和によって競争力が落ちることにはならないのではないか。日本の国際競争力が低下している理由の一つは、日本の労働賃金が相対的に高くなったからであろう。かつて日本が大きな競争力を持って、アメリカを追い上げていった時代と同じような現象が、今度は日本が追い上げられる側になって展開しているのだ。

 

日本の関西では、東京を日本の仮の首都だと思っている人が大勢いるように、もっと複眼的に国家構造を考えてもいいのではないだろうか。例えば、エジプトの首都はカイロだが、夏の間はアレキサンドリアが首都機能を持つ。アレキサンドリアは地中海に面した町で、カイロに比べてとても住みやすく、文化も少し異なる街だが、夏の暑い時期が来ると政治家に限らずビジネスマンも含めてみんなアレキサンドリアに移ってしまう。

 

これからの首都機能のあり方を考えるとき、政治と経済と文化を分けるというのが一つの考え方としてあり、政治の中でも立法と行政を分けるという考え方もある。アメリカの場合、政治の中心がワシントンで経済の中心がニューヨークだが、ニューヨーク州の州都はオールバニという田舎町だし、サンフランシスコのあるカリフォルニア州の州都もサクラメントという都市で、そこからサンフランシスコに出るまで少し距離がある。もともとアメリカでは、最初に独立した13州の代表が条件の悪い土地にコロンビア特別区をつくり、合衆国の首都にした。そうすることで中央政府が強大な権限を持たないだろうと考えたのだが、アメリカが比較的うまくいっているのは、立法府と行政府の間の分権がうまくいっているからである。アメリカでは、法律や条令をつくるのは議員たちで、行政府は議会から与えられたその権限を行使するという役割分担が明確化している。

 

日本の場合は、法律をつくるのは事実上ほとんど行政官だから、そのあたりが首都機能を分ける上で難しいところといえるだろう。その上、学者が絡み、そういう人たちが密に接触をしていないと物事が進まないというのが日本の特徴だと思う。また、日本の場合は、アメリカと違って中央政府の力を削ぎにくい面もある。政治と経済が分離するのは望ましいことだが、果たしてこれまで培ってきた日本の政治、行政、社会の文化や歴史に整合性を伴ってきちんと物事が運ぶのかどうか若干疑問がある。

 

確かに、ハード面では遠くにいてもできることがあるが、ソフト面ではやはり人の情が通じるように顔を合わせないといけないことがまだ残っている。そもそも、「みんな集まっていないといけない」ということ自体が日本人のDNAの中に組み込まれているのではないだろうか。ペーパーレス化という言葉をよく聞くが、コンピュータが普及してからペーパーはむしろ増えているように思う。それは、ペーパーをもらう人ともらわない人との間に差ができてしまうからである。それは情報の差ではなくて、ペーパーをもらった人は仲間、もらっていない人は仲間外れとみなされるような傾向があるのだ。だから、一番安全なのはペーパーを多く刷って全員に配布することである。そうすれば誰からも文句が出ないから。日本ではなかなかドライにはいかないのだ!

 

 

・ハードとソフトを分ける こちらより抜粋

ハードはつまり”インフラ”、ソフトはつまり”人”、と分ける。ハードはまだ東京一極集中でなくても、地方に分散させたとしても十分機能しうるのではないか。一方、人はどうしても集まった方が良く、団結力や方向性の統一という意味でも集まる必要があるのだろう。祭りもそうだ。インターネット中継で画面越しに見る祭りでは、団結力や方向性の統一は難しい。やはり、人と人がお顔をあわせ、お互いに熱量を交換し合うことで、団結力が生まれるのである。

 

成長のエンジンという意味では、東京に集積した知識集約型サービス業よりも、全国に分布する製造業が相対的に大きな寄与を果たしてきた。現在一部でみられる製造業の国内回帰の動きが大きな潮流となるかどうかは予想がつかないが、少なくとも当面は、地方の中枢的な都市における集積のコアとして製造業の役割に期待がかかる。ただし、人口減少社会のもとで、多くの地域が製造業に関して集積のメリットを追求することには限界がある。域外との知的交流を強化し、大きな集積があるのと同じような環境の実現を図ることが重要と思われる。

 

つまり、ハードは各地方の都市にある程度の集積をしていくような分散化させた環境を整備すること、そしてソフトは流動的に集積するような仕組みを作り、大きな集積があるのと同じような環境の実現を図ることなのであろう。祭りもそうだが、ある時期に一斉に人が集まり、同じ方向を向いてお互いに人と人が交流していき、多いに賑わい楽しむ。オリンピックも祭りの一つであろうが、ある時期に世界中から人が集まり、同じ方向を向いてお互いに人と人とが交流していき、多いに賑わい楽しむ。国際会議や学会などの発表会なども同様だろう。

 

一方、各企業の雇用戦略としては、同じ就業場所に毎日出勤させ、同じ仲間のみと交流し、日々作業に追われて創発は忘れ、嫌々仕事をさせられているというのが実情だろう。人の流動性が乏しいのだ。組織の流動性が乏しいのだ。これは、組織論的にも、問題があるからそのようになっているのであろう。ピラミッド型の指揮命令であれば、組織を固定化させ、指揮命令者を課長や部長に固定化させ、同じ指揮命令者からのみ指揮され、それに服従するような組織形態をほとんどの企業が採用しているからであろう。

 

そうではなく、ティール組織のような指揮命令系統がなく、各自が意見を出し合いながら方向性を決めていく組織の場合、仕事の仕方や業務内容などは流動的になっていく。人もプロジェクトチームごとに入れ替わっていくのだが、各人が生命体の部位の役割を演じることで、入れ替わったとしても組織として機能するような形態となっている。だからこそ、作業やルーティーンワークも嫌々では無く、モチベーション高くこなしていくことができる仕組みなのである。ただバリデーター組織は例外である。バリデーター組織はピラミッド型の指揮命令系統であるべきで、しっかりと序列を組み、規則正しく指揮命令が伝達していかねばならない。日本国でいうと官と民に分けられ、官はバリデーター組織であるべきで、民はティール組織であれば良いということだ。

 

これは人間という生命体を考えてもよく分かる。細胞が集まって組織となり、その組織が集まって臓器や器官となり、その器官が集まり器官系となって、人間という生命体を構成している。では、ある細胞1つが死んでしまったら、もはや人間という生命体はストップしてしまうか?というと、決してそんなことはない。他の細胞がすぐさまフォローに入り、同じような役割を演じてくれるのである。つまり、細胞はどんな役割にもなり得るポテンシャルは持っているのであって、日々、他の細胞どおしで連携を取りあい、機能が弱っている箇所にフォローに行く体制が出来上がっているのだ。それが神経系や免疫系や内分泌系の連携ということだ。このような連携体制を真似て、日本国という生命体や、会社という生命体もまた、連携体制を構築していくべきなのであろう。

 

・人の流動化について

日本国という生命体を考えた場合、生命体全身に流れる血液やりんぱ液の存在が欠かせない。

このような12部位の生命体を考えた場合、血液とは何であろうか?それは”お金”であろう。お金というのは、つまりは”情報”なのであって、情報が全身を常に行き来している状態でなければ生命体は直ぐに死んでしまうということだ。一方、りんぱ液とは何であろうか?それは”愛”であろう。愛というのは、つまりは”行動”なのであって、人の行動が全身を常に行き来している状態でなければ生命体は直ぐに死んでしまうということだ。

 

このように考えると、情報は確かに行き来しているようには思えるが、人の行動が全身に行き来しているとは思えない。人は絶えず同じ地域に居住しているのであり、同じオフィスに出勤しているのであり、同じ組織に所属しているのであるから。この人の行動が行き来していない!ということが、今の日本国の課題なのかもしれない。

 

 

いかがであろうか。ここまで具体的な課題が見いだせれば、どのように解決していけば良いかの目標設定が立てられる。その目標に向かって行動計画も立てられる。具体的な行動計画を立てられないから人は動けないのである。ここまで具体的に課題が見えれば、解決策はもう目前だ。次回、行動計画について記載していきたい。