第5次元:教育産業の方向性

先に組織のバランスについて記載した。いかにバランス感覚が重要かが理解できたと思う。ぜひやってもらいたい。さらに、もう1つ組織のバランスで付け加えるとしたら、以前から記載している第1次元~第10次元までの視野をバランス良く持つことであろう。何せ、第1次元~第10次元までの生命体の維持・運営の仕組みを参考にすれば、第3次元:ティール組織という生命体の維持・運営の方法が全然違って見えてくるのだから!

 

ということで、今回は、第5次元:教育産業という生命体について見ていくことにする。今回は、教育産業という生命体が、今後どのような方向性に進んでいくのであろうか、それを見ていきたい。

 

GHQによる精神破壊

日本が、二度とアメリカの脅威とならないよう、GHQによる占領政策が開始された。それは単なる「武装解除」だけではなく、日本人の精神を根本から破壊することが狙いだった。本当はGHQは何をしたのか?それを知らなければ、本当の日本の姿を知ることはできないだろう。70年後もGHQに精神を支配され、子供達が大人になる100年後もそれが続いているかもしれない。

 

「罪悪感をすり込む教育」「劣等感をすり込む教育」をずっと受けてきた、日本人は「誇り」や、自分の「軸」となるような価値観を見失いつつあるのではないだろうか。自分に価値を感じないという子供が、圧倒的に多くなった日本。しかし本当の歴史を知れば、この国に生まれた事を心から誇らしく思うだろう。なぜなら日本は、世界最古の歴史を持つ国。大帝国であるアメリカと全面戦争した唯一の国。結果的に敗戦して今でもその後遺症に苦しんでいるが、白人による植民地搾取の時代を終わらせ、アジアにたくさんの独立国を生むきっかけになった国なのだ。

 

・なぜGHQ教育勅語を廃止したのか? こちらより抜粋


GHQの婦人教育担当だったアイリーン・ドノバンは、昭和21年(1946年)8月6日、教育部長のマーク・T・オアにあるメモを送った。

 

「この勅語は、極度の西欧化に対する恐怖感から生まれたものである。・・・百三十語の漢字からなる勅語日本民族主義のマグナ・カルタ(大憲章)であり、軍国主義者や超国砕主義者の行動や理論の源になったものである」。勅語で強調されている「忠君」「親孝行」について、「これらは西欧で理解されているようなものではなく、封建的な概念であり、四十七浪士の盲目的な忠誠であり、この忠誠の下、全ての罪悪は許された。また、親子の愛については天皇崇拝の宗教に結びつき、愛国主義の宗教を作り上げた。教育勅語が日本帝国の教育の源だとすると、一体全体、”日本の教育哲学”とはなんだと問い返さざるを得ない。真実を追求する精神が入り込む余地が一体どこにあると言うのだろうか」「より直接的な危険は”一旦緩急あれば義勇公に奉じ以て天壌無窮の皇運を扶翼すべし”という言葉の中にある」「日本人の道徳・倫理の目的は皇室の繁栄のためにだけある」と言っている。

 

これは果たして本当だろうか?

 

もしドノバンの言うとおり、教育勅語天皇を崇拝するカルト宗教みたいなもので、皇室の繁栄のためだけにあるのだとしたら、なぜ日本は戦争になったのだろうか。昭和天皇は、満洲事変にも支那事変にも対米開戦にも、全部反対していた。それにも関わらず、天皇の反対意思は押し切られ、日本は戦争に突入し、焦土と化したのである。今は日本国憲法第1条で「天皇は日本国の象徴である」と規定されているが、実はそれ以前から、天皇は国民の大多数が決めたことを否定できなかったのだ。

さらに、これもGHQが理解できなかったことだが、日本の「天皇と国民の関係」というのは、他国の「君主と国民の関係」とは違う。他国では国民は君主のために存在する。だからいざ国が危なくなると、君主は命乞いをしたり、国外に逃げたりする。しかし日本の天皇はそれとは違い、常に国民の幸せを祈る。そのことを、昭和天皇マッカーサーの対談を例に見てみよう。

昭和20年(1945年)9月27日、昭和天皇マッカーサーアメリカ大使館公邸で対談を行った。当初マッカーサーは、昭和天皇が命乞いをするのではないかと思っていましたしかし昭和天皇の言葉は、マッカーサーにとって意外なものだった。藤田尚徳著『侍従長の回想』によると、昭和天皇は次のような御発言をされた。「敗戦に至った戦争の、いろいろの責任が追及されているが、責任はすべて私にある。文武百官は、私の任命するところだから、彼らには責在はない。私の一身は、どうなろうと構わない。私はあなたにお委せする。この上は、どうか国民が生活に困らぬよう、連合国の援助をお願いしたい」

また、マッカーサー昭和天皇の御発言を受けたときの感想を、後に回想録の中でこう述べている。「私は大きい感動にゆすぶられた。死をともなうほどの責任、それも私の知り尽している諸事実に照らして、明らかに天皇に帰すべきではない責任を引受けようとする、この勇気に満ちた態度は、私の骨のズイまでもゆり動かした。私はその瞬間、私の前にいる天皇が、個人の資格においても日本の最上の紳士であることを感じとったのである」

このように、天皇は国民の幸せを祈り、国民は天皇を想い、お互いを大切にし、一緒に前へ進んでいく、というのが日本という国である。他国の「君主と国民の関係」とは違うわけだが、GHQに、この日本の伝統を理解できる人はほとんどおらず、だからこそ教育勅語のことも「教育勅語は皇室が自分たちのために国民を洗脳する宗教だ」と解釈した。結局この偏見が決定打になり、教育勅語は廃止されたのである。この教育勅語の件からも分かるように、GHQは日本がどんな国か、日本人がどんな民族か、根本的に理解していなかった。GHQの無知が、GHQ占領下における日本の破壊に拍車をかけたのであろう。

 

・初等科修身 こちらより抜粋

日本文明についてであるが、歴史の否定による戦後の歪んだ「歴史観」によって本来の日本の国柄を忘れ去った日本人はたくさんいる。国体の弱体化を図られ、忘れ去られた日本の再起について書かれている。もともと「穢れ」に対して敏感で、心をつねに清潔に保っておきたいという精神文化や内面にある道徳的な美しさなどといった霊的、精神的なものが日本の根幹を形作っている。武士道に通ずるものだ。

 

この独特なる日本文化の心髄は心の中にあり、それは「誠」と「和」である。日本人が誓う「神」とは自分自身の心、精神であり、日本が「神の国」つまり「心の国」であることは、今でもまったく本質において変わっていない。そしてそれ自体が日本の形であり、和魂を堅持し、日本文明を愛し止まなければ、この国は再び発展するのだろう。

 

われわれが日本人であるためには、日本のあり方を知らなければならず、そのためには歴史を正しく捉え、日本の心を再発見することが必要だ。しかし、今の日本のようになったルーツや再発見するためには、多くの時間と知識を必要とするだろう。戦前を生きた人々の人口は減少し、今の日本を動かしている人々は「歪んだ自画像」の日本しかしらないし、確かな知識を持った人はそうそう多くないのかもしれない。戦前は、確かな知識を、「初等科修身」で学校で教えられていたのだから。

 

令和の御代を迎え、荘厳な皇位継承の儀式を目の当たりにした日本人の多くが、日本の歴史・伝統の深遠さを認識したことだろう。しかし、それらの儀式の意味を理解して見ていた日本人はほとんどいなかったに違いない。学校教育では一切教わらないからだ。意図的に、教えることを忌避してきたと言ったほうがよいかもしれない。だが、日本が戦争に負けるまでは、重要な祭日の意味や、その日行われる儀式の内容を、義務教育の段階で全ての日本人は教わっていた。

 

『初等科修身』は、日本人が日本人であるために、学んでおかなければならない必須の知識や、偉人たちの生き様を通して描かれた理想の日本人像の集大成である。「大嘗祭の御儀」の章では、大嘗祭は我が国で最も尊い、大切な祭であることが示され、神話との繋がりから、祭の進行状況やその意味まで明確に説明されている。それらを全て理解した上で、大嘗祭の日を迎えることができていれば、二千年以上続く日本の歴史の一部であることを、感動をもって体感できたのではないだろうか。


本書には、戦前戦中の祭日であった春季皇霊祭や秋季皇霊祭のことも書かれている。その日は今日も、春分の日秋分の日と名を変えて祝日として存続しているが、学校は祝日の由来を教えてくれないので、単なる天体現象の日と認識している日本人が大部分だろう。

戦前戦中の日本人にとって重要だったはずの常識、日本民族の価値観が、戦後の日本人には全く伝わっていない。本書を読むと、日本の歴史が見事なまでに断絶させられていることに愕然とさせられる。そして、断絶した歴史の向こう側に存在した、日本、日本人の輝かしい姿を垣間見ることができる。

 

 

このような教育を少しでも取り戻すことができれば、再び日本は自立できるのかもしれない。今のような属国にならなくてすむのかもしれない。それゆえ、教育の重要性は述べるまでもないが、本当に重要なのである。1つでも多くの教育機関が本当の教育を実践していけば、日本の未来は明るくなるのだろう。教育産業にかかる期待はとても大きいのだ。