第6次元:日本国の方向性とは⑤

先に組織のバランスについて記載した。いかにバランス感覚が重要かが理解できたと思う。ぜひやってもらいたい。さらに、もう1つ組織のバランスで付け加えるとしたら、以前から記載している第1次元~第10次元までの視野をバランス良く持つことであろう。何せ、第1次元~第10次元までの生命体の維持・運営の仕組みを参考にすれば、第3次元:ティール組織という生命体の維持・運営の方法が全然違って見えてくるのだから!

 

ということで、今回も第6次元:日本国という生命体について見ていくことにする。日本国という生命体が、今後どのような方向性に進んでいくのであろうか、それを見ていきたい。

 

占い好きではない人からも「今は風の時代なんですよね」という言葉をかけられることが多くなった。西洋占星術では2021年から風の時代の始まりとなるが、約200年ぶりの時代の変化の始まり迎えたわけだから、それは大きなことである。実は風水も少し周期はズレるものの、180年という単位で運気が変わっていく。風水では2024年から「第9運・火の時代」に入り、それは20年間続く。そして、この火の時代が終わる2044年が新しい時代の幕開け、180年振りの時代の変化となる。もっと言えばこの180年周期×3回分、540年振りの変化なので、どこからどう考えても、社会の在り方は根底から大きく変わると予測される。

 

西洋占星術の「地の時代から風の時代へ移行する」ことによる変化についてだが、「“地の時代”は、どっしりと安定していることを象徴する、『所有』が幸せの判断基準であった。良い家、安定した仕事、安定した収入などを得ることが、幸せにつながった時代だ。一方、これから始まる“風の時代”は、理性や情報、コミュニケーションなどがテーマになる。インフルエンサーが活躍し、仕事は大企業に就職すれば安泰というものではなく、個人のスキルを生かして収入を得ることが中心に。定住する家を得るのではなく、その時々で軽やかに移動して生きる人が増えるだろう。ほかにも、想像を遥かに超えたニュースが飛び込んでくることも。新型コロナウイ ルスの影響は、まだ序の口だ。この先も、しばらくはコロナ渦の暮らしが続くであろうし、元の生活に戻るというよりも、新しい生活スタイルへと変化していく。

 

一方、風水では、2024年からの20年間は”下元9運の時代”となる。さらに三元九運の540年サイクルの終わりの時期にもなる。2044年以降は、新たな540年サイクルである三元九運の第1運の時代が始まる。そんな540年前といえば、1500年代だ。1500頃の日本は戦国時代の最中だ。そして1549年には、ザビエルがキリスト教を伝えにやってくることになる。それがきっかけとなり、鎖国へと繋がっていくという大きな転換期となった。苦しくも2044年も、540年前と同様にIT戦国時代の最中かもしれない。そこから鎖国へと繋がっていく可能性もありえるということだ。

 

江戸時代を含め、キリスト教徒が弾圧された300年間こそが日本の鎖国の時代だと考えてられる。日本が自らの価値観に必死にしがみついていた300年間だ。これは日本が長らく培ってきた価値観でもある。それを壊すことを恐れたのであろう。よりたくましく成長するという道も選べたはずだが、この時の日本はおびえて自分の家と部屋にこもった。そして国民の信仰の自由を重々しい鎖で縛ったのである。そして外から誰にも見られないようにカーテンを下ろした。これが鎖国であろう。こうしなければ江戸幕府は260年にも及ぶ政権を維持できていなかっただろう。

 

 

鎖国とは何なのか、現代と照らし合せて考察してみたい。鎖国というのは国の対外政策が閉ざされていて、世界規模で見た時に孤立している状態だ。そのため外国から輸入品が持ち込まれることはなく、その他、学問や科学技術、医療などから武器、宗教、海外情報に至るまで完全にシャットダウンできる。国民は自国内でのみ活動をするわけだ。これが本来の鎖国の意味であろう。しかし江戸時代に行われたとされる鎖国はここまで徹底されていない。対外政策は閉ざされておらず、日本は完全に孤立しているわけではないのだ。こっそり外国との貿易も続けられており、あらゆるものが日本に入ってきていた。ただし窓口が圧倒的に狭いのが特徴である。

 

国民の多くは貿易が行われている実情を知らなかったのではないだろうか。つまり海外の情報や輸入品は一部の人間の手にしか渡らなかったと思われる。ただし宗教に関しては徹底している。標的はキリスト教である。他国から宣教師が来日し布教するのも当然禁止だが、国民がキリスト教を信仰するのも禁止している。貿易に関しては特別扱いされていた松前藩対馬藩薩摩藩すらも密貿易を行っていたようで緩いが、キリスト教の信仰に関しては世界に類を見ないほど徹底的に禁止されており、わずかな隠れキリシタンが地下活動をしていたような状態であった。

 

一般的には日本が鎖国をしていた時期は、1639年のポルトガルとの国交を断絶した年から1854年日米和親条約が締結されるまでの約200年間を指す。日本はずいぶん長い期間鎖国をしていたことになるが、この期間に国交していた国は中国とオランダである。対外的な貿易については「しなかった」のではなく一部の国に「独占されていた」という表現が適している。特にイギリスやスペイン、ポルトガルとの貿易は固く禁じられており、1640年にポルトガルの使者が日本に訪れた際には61名を処刑している。なぜヨーロッパ諸国の中でオランダは貿易が可能で、スペインやポルトガルは貿易が禁止されていたのだろうか。それはオランダがプロテスタント国家であり、かつキリスト教布教を伴わない貿易が可能であると日本に提示したからだ。同じキリスト教であってもカトリックはヨーロッパにおいてプロテスタントの勢力に押されており、布教の先を海外に求める必要があった。

 

1643年、オランダ船の乗組員が日本に上陸し盛岡藩に捕まった際にも、オランダ人であることが判明すると待遇は良くなり、ポルトガル人と敵対し戦闘した経験を語ることで歓迎されたという記述もある。これが「ブレスケンス号事件」である。こうして見ると鎖国の理由は貿易の独占以上にキリスト教を禁止するために行われていたことがわかる。貿易の管理や統制はキリスト教の問題を解決するために必要だったのである。

 

 

中世から近代へ こちらを参照

中世から近世へ、戦国時代を挟んでどのような変化があったのか、その一つは神や仏の力の衰退である。それまで土地争いや水争いなど、村と村が対立したり戦争状態になった場合、それぞれの代表者が出て熱湯に手を入れたり、焼けた火箸を握るなどして優劣を決めることが多くあった。現代から見ると非常に理不尽なのだが、それは神が見ている、仏のお告げだ、ということで双方が合意できたわけだ。ただし代表者はこれにより手が不自由になり、家族にも負担がかかる。そこで、村の人たちはいろいろな補償をした。しかし、この時期、神や仏に力があったから紛争はそこで収まったわけだ。同じように当時は借金をするときなども神や仏が見ている、聞いているわけだから、証文は作らなくても済んだ。お互いが約束すればそれで貸借が成立したわけである。神罰や仏罰が怖いので、きちんと約束を守り、借りたものを返す社会であった。

 

しかし、戦国時代を通して、信長の比叡山焼き討ちなどで知られるように、神や仏の力がどんどん衰退していく。一生懸命祈っても拝んでも思うようにならない、ということになるわけだ。これに代わり、統一国家、公儀権力が生まれてくる。国家、公儀は、もめごとがあった場合は、自分たちで決めずに公儀に訴え出るよう指示する。神や仏に代わって国家・公儀が裁くスタイルになるわけだ。これに応じて、人々は訴訟に勝つためにさまざまな証拠を作り残すようになる。文書が大量に作成される時代の到来である。


また、神や仏のみならず自然との関係も変わる。中世までの集落は、谷あいの山に抱かれた場所に形成されることが多くあった。平野部の川は、利根川、鬼怒川、木曽川など、いずれも暴れ放題であった。年貢は奈良・京都などの荘園領主や地域の土豪に納めていた。自然に抱かれて、自分たちが毎年食べるだけのものを最低限作るような生活をしていたのだが、戦国時代になると地域を統一的に支配する戦国大名が出現した。彼らは河川をコントロールし、新田を開いた。堤防を作り、河川敷を新田にすれば、生産力が上がり、隣の大名たちとの争いが有利になるわけである。


中世から近世への変化は、人々が山あい・谷あいから平野部に進出することでもあった。象徴的には、中世までは山城といって、城が山にある臨戦体制だったのだが、江戸時代の城は平城になる。松本城、姫路城、大坂城江戸城など、みな平野部に造られている。これは戦争のためというよりも、領国内をコントロールする役所、行政府としての機能をもったことを示している。自然に抱かれて生活していた古代・中世の人々とは異なり、江戸時代の人々は自然をコントロールするようになったのである。

 

神仏・自然に抱かれた時代から、人間が自らの力を信じる時代へ、これが中世から近世への大きな変化であった。こうした時代は、現在まで続くわけで、江戸時代と現在は断絶した時代ではなく、連続した時代として捉えられることになる。「未開から文明へ」といわれるが、戦国時代に神仏や、自然に抱かれた時代から、人間が自立し、主体的に経済活動を行ったり、文字を普及させたりする文明社会への転換を見ることができるのである。

 

この人間が自らの力を信じる時代が540年あまり続いたわけであるが、いよいよ2044年以降の新たな三元九運の540年では、今一度、神仏・自然に傾倒するよう、思想の統一などの鎖国が起こる可能性もあるということだ。人間が自らの力を信じる時代は、結局は強烈な管理体制を敷き、徹底した監視が条件となる。そのような非人道的な監視を拒み、人間らしい生き方を模索するような自然と共存共栄するような生き方を良しとする思想が復活するということだ。

 

それゆえ、2044年に向けて、今からの20年間は9運という激動の時代になる。それは 監視 VS 人間らしさ の戦いになるのかもしれない。日本国が諸外国と同様に監視社会になっていくのか、はたまた、人間らしさを追求していく社会になっていくのかは、一人一人の意識によるのであろう。540年前の戦国時代から鎖国へという思想の統一の歴史は、我々の記憶に深く残っている。もし鎖国をしていなく、キリスト教を受け入れていたのならば、今の日本はなかっただろう。

 

同様に、現代も鎖国をせず、もしAIによる信用評価、ロボットによる監視社会を受け入れたのであれば、日本らしさも失われていくのかもしれない。技術力は遅れ、世界から取り残されようとも、江戸文化のように独自の日本文化がまた花咲くかもしれない。世界に迎合する理由がどこにあるのだろうか?本当に大切なものは、企業が利益をあげることではない。人間らしく、自然と共存共栄できる生活なのではないだろうか。江戸文化も浮世絵や歌舞伎などの独自の文化が芽生えていった。現代でも同じように、なにか女性が台頭するような新たな文化が芽生えていくのかもしれない。

 

そのような日本国になるためには、各企業がすべきことは、グローバル化ではないように思う。いかに自然と融合したビジネスモデルができるかどうかだ。SUNTORYなどの大手企業も自然と共存共栄をめざし、立派にビジネスモデルを確立している。このような企業は2044年以降も生き残っていくのであろうと思う。そんな企業が日本国に増えていけばよいのだろうと思う。