第8次元:人類という生命体の方向性について②

先に組織のバランスについて記載した。いかにバランス感覚が重要かが理解できたと思う。ぜひやってもらいたい。さらに、もう1つ組織のバランスで付け加えるとしたら、以前から記載している第1次元~第10次元までの視野をバランス良く持つことであろう。何せ、第1次元~第10次元までの生命体の維持・運営の仕組みを参考にすれば、第3次元:ティール組織という生命体の維持・運営の方法が全然違って見えてくるのだから!

 

ということで、今回も第8次元:人類という生命体について見ていくことにする。人類という生命体が、今後どのような方向性に進んでいくのであろうか、それを見ていきたい。

 

"まことしやかに"語られ、拡がっている、"コロナウイルス=人口削減計画"の"お話"について、これが真相であれば、人類は大変危機的な方向に向かっていると言えそうだ。この”人口削減計画”は、思想・宗教の問題も根底にあり、先に記載した通り世界統一政府、統一言語を「世界1%の支配者層」が目指す上でも大きな壁になるのであろう。完璧な人間のみが生き残り、それ以外は削減するという人口削減計画はどうすれば阻止できるのだろうか。

 

我々日本人は、八百万神の思想であり、多神教である。神様も欠点はあるし完璧ではないし、いろんな人が居て良いという思想だ。一方、世界70億人の半分近くは、一神教である。神か神以外か、という思想だ。この折り合いをどうつけていけばいいのか、それには、お互いを知り、お互いが認め合い、融合していくことが求められるのであろう。今は、平行線になっており、自分が正しい!と主張するからこそ、戦争が生まれるのであり、お互いに認め合い、融合できれば戦争はなくなるのかもしれない。まずは、一神教から見ていこう。

 

 

一神教について こちらより抜粋

一神教多神教と聞くと、神さまの「数」の違いだと思う。たしかに数は違う。でももっと大事な違いがある。一神教では、「神は天地を、創造する(創造した)」と考えるのだ。神は、天地を「創造」した。聞いたことぐらいはあるはずだ。でも、創造とはどんなことか、肌身で徹底的に感じないと、一神教を理解したとは言えない。

 

一神教とは、ユダヤ教キリスト教イスラム教。どれも、「神が天地を創造した」、とする。(そもそもユダヤ教キリスト教イスラム教は「同じ」神を信じているのだった。)なかでも、論理がいちばんすっきりしているイスラム教を例に、考えよう。イスラム教は、つぎの二つを信仰告白することになっている。

 a アッラーが、天地を創造した
 b ムハンマドは、アッラーの「最後で最大」の預言者である
(aだけを認め、bを認めない者もいる。その場合、イスラム教徒ではないが、無信仰者でもない、という扱いになる。) ムハンマド預言者アッラーから啓示(神のメッセージ)を受けた。それをまとめたのが、クルアーンコーラン)である。クルアーンを読むと、天地の創造のことが、まとまって書いてない。まとまって書いてあるのは、旧約聖書の創世記である。クルアーンはそれを当然のこととして、踏まえているのだ。

 

・創世記はアッラーの預言

旧約聖書はもともと、ユダヤ教聖典だ。創世記など最初の五つの書物を、モーセ五書(トーラー)という。預言者モーセが伝えた律法である。イスラム教は、モーセも、神アッラー預言者だと考える。創世記も、アッラーから人類へのメッセージなのだ。創世記によれば、神は六日で世界を創造した。一日目に「光あれ」と言い、二日目に陸地と海を造り、…、六日目に動物や人間を造った。そして七日目に休んだ(安息日)。イスラム教は、旧約聖書の内容を、だいたいそのまま認める。クルアーンと違うところは、クルアーンのほうを信じる。旧約聖書は不完全で、ところどころ間違っている、と考えるのである。創世記に関して言えば、その内容はほぼそのまま、クルアーンに引き継がれている。

 

創造という考え方のポイントは、創造の前と後で、すべてががらりと変化することである。

(創造の前)→神がいる
(創造の後)→神がいる + 世界がある(天地、山や河、植物や動物、人間が存在する)

 

最初、神(アッラー)がただ存在するだけで、ほかには何も存在しなかった。神は寂しかったろうか。そんなことはない。神は完全で、欠けたところがなく、満足していたはずだ。それから、世界を創造した。天地が存在するのは、神が創造したから。天地が存在すべきだと、神が思ったからだ。山や河が存在するのは、神が創造したから。植物や動物が存在するのは、神が創造したから。人間が存在するのは、神が創造したから。神が、それらは存在すべきだ、と思ったからだ。

 

このように、「世界は、神(アッラー)の意思によって、存在する」のである。山や河を見るたび、植物や動物を見るたび、「神がこれを創造したのだ」と思わなければならない。そして、感謝しなければならない。人間はどうか。人間ももちろん、神が造った。しかも人間は、一人ずつ、神に手造りされた。最初の人間は、アダムである。アダムは、「土」という意味。神が土をこねて、人間のかたちにし、息(つまり、生命)を吹き入れて、人間にした。イヴ(エヴァ)も、やはり神が手造りした。以上のことは、創世記2章に書いてある。(細かいことだが、創世記1章には、神は男女を造った、と書いてあるだけ。男性(アダム)を先に造った、とは書いてない。1章は2章と別系統のテキストなのだ。)

 

神が手造りしたのは、人間だけである。創世記によると、ほかの動物は、言葉で命令するだけで造られている。アダムとイヴは、神の言いつけに背いて善悪の樹の実を食べてしまい、エデンの園を追放された。それから二人は結ばれ、カインとアベルの兄弟が生まれた。イヴは、ふつうのやり方で妊娠し出産した。カインとアベルは、神に造られたのか? それとも、人間から生まれたのか?人間から生まれたのに、間違いない。けれども、カインもアベルも、そのほか母から生まれる人間はひとり残らず、神が手造りした。そう、一神教では考える。人間から生まれるのは見かけだけ。誰が存在するのも、例外なく、神の意思によるのだ。

 

神が造った存在を、被造物という。被造物にも、いくつもの種類がある。まず、物体(モノ)。太陽や月のような天体も、山や河のような地上のモノ(無機物)もある。植物や動物(有機物)もある。神は三日目に言う、「地は草を芽生えさせよ。種を持つ草と、それぞれの種をもつ実をつける果樹を、地に芽生えさせよ。」植物は、種をもつように造られている。植物は、地が生えさせるもので、草や木の一本一本を区別しない。神は五日目に言う、「生き物は水の中に群がれ。鳥は地の上、天の大空を飛べ。」この命令で、水中の魚類は群れるようになった。一匹一匹は区別しない。鳥は、空を飛ぶようになった。一羽一羽は区別しない。神は六日目に言う、「地は、それぞれの生き物を産み出せ。家畜、這うもの、地の獣をそれぞれに産み出せ。」陸上の生き物は、家畜/地を這うもの/野生動物、の三つのカテゴリーに分けて造られた。そして、一匹一匹は区別しない。それは、原子や分子がひと粒ひと粒区別されないようなものだ。

 

このように、創世記によれば、被造物はすべて神の命令で存在し、神の管理下にある。それは群れ(生物学の用語では、種)として存在し、個物としては存在しない。唯一、人間だけは、個物として造られ、存在している。アダム、イヴがそうである。そして、カインもアベルも、それ以後生まれた人間は全員、一人ひとり名前があって、個性がある。同じ人間はひとりもいない。これが人間の特徴だ。「人間は、一人ひとり個性ある存在として、神に造られる」。神は、人間を、一人ひとり手造りする。これが一神教の、神と人間の関係の基本である。ぼんやり読むと、「人間は、一人ひとり個性ある存在として、神に造られる」ことは当たり前のような気がする。しかし全然、当たり前でなく、とても特別の考え方だ。ユダヤ教も、キリスト教も、イスラム教も、地球上の人類約七七億人の半分以上、およそ四〇億人がこのように考えている。一神教の考え方がどんなふうに特別か、しっかり理解しよう。

 

人間は、自分が死ぬとわかっている。では、死んだらどうなるとわかっているのだろうか。むかし人びとは、群れをつくったり、村に住んだり、小さな集団で暮らしていた。そこには、死んだらどうなるか、の決まった考え方があった。死んだら鳥になる。先祖のところに帰る。どこか遠くで、楽しく暮らす。などなど。それは、人びとが自分の考えを持ち寄って、みんなの考えにしたものだ。そのうち、社会はもっと複雑になり、広い場所で農業を営み、人口も増えた。社会階層が分化した。ふつうの人びとのほかに、商人や職人や、軍人や王さまや、官僚や神官がいる。複雑な社会のなかで、人びとはさまざまな人生を歩む。職業を変わったり、出世したり落ちぶれたり、戦争に駆り出されたり難民としてよその土地に移住したり。人びとの生き方が何通りもあるということは、人びとの考え方も何通りもあるということだ。

 

広い場所には、さまざまな文化をもった人びとが集まる。さまざまな人種、さまざまな民族の人びとが集まる。死んだらどうなるか、の考え方も違う。これが、「宗教の違い」として意識されていく。いくつも宗教がある。それは、死んだらどうなるか、の考え方がいくつもあるということだ。いくつも宗教が出てきてどうなったかというと、大部分は廃れてしまった。けれどもそのうちいくつかは、信じる人びとの人数が増えて生き残った。それが「大宗教」である。大宗教は、社会を丸ごと呑みこんで、文明につくり変えた。そうした文明は現在も大きな勢力を保っている。いま、世界には、四つの大きな文明がある。どれも、宗教を土台にしている。

 ・ ヨーロッパ・キリスト教文明 ……キリスト教を土台にしている
 ・ イスラム文明 ……イスラム教を土台にしている
 ・ ヒンドゥー文明 ……ヒンドゥー教を土台にしている
 ・ 中国・儒教文明 ……儒教を土台にしている

 

キリスト教イスラム教に共通するのは、人間は例外なくみな、復活すると考えていることだ。復活。英語ではresurrection。死んだ人間が、新しい肉体を与えられ、もとの人間として生き返る。そんなことがあるわけがない、と思うかもしれない。あるわけがないことが起こるのが、神の奇蹟である。死んでも、生き返る。これを信じるのが、キリスト教イスラム教だ。ハードルが高い考え方かもしれない。でもこれを信じる気持ちを理解しないと、一神教を理解したことにはならない。

 

ユダヤ教は、人間が復活するかどうかについて、論争があった。福音書に、そのことが書いてある。はじめユダヤ教は、人間は死ねば土に還る、と考えていたようだ。人間はもとはと言えば、無機材料(土)から造られたのだから、死ねば分解して無機材料に戻る。合理的な考え方である。旧約聖書エゼキエル書37章にこうある。神は預言者エゼキエルに、枯れた骨に向かってこう言えと言う。「見よ、わたしはお前たちの中に霊を吹き込む。すると、お前たちは生き返る。」ここで霊とは、神から出る命の息吹のこと。するとエゼキエルの見ている前で、骨はつながり、肉と腱と皮膚を生じ、生き返って大集団になった。

 

神はなんでもできる。神が命じれば、死者も復活する。これが一神教の考え方である。ユダヤ教は、果たして神がそう命じるかどうかについて、意見が分かれていたのだ。イスラム教は、イエスは十字架にかからず、直接天に上げられた、十字架で死んだのは誰か身代わりだった、と考える。イエスは終末のとき、再びやって来る。死者はみな復活する。キリスト教と細部は違うが、復活と最後の審判を信じているところは同じだ。

 

 

いかがであろうか。多神教である我々から見たらとても違和感があり、理解しがたい部分も多い。「創世記によれば、被造物はすべて神の命令で存在し、神の管理下にある。」 この考え方が、どうしても理解しがたい。我々日本人の八百万神の思想では、動物や岩や水や大地や山なども神となる。動物や岩や水が命令して人間を管理しているなどとは考えない。そもそも神の管理下にあるという根本の思想が違うのだ。

 

これは会社経営にも如実に表れる。キリスト教が主である欧米の経営スタイルは、経営者による管理下に従業員を置くというもの。一方、ティール組織はというと、管理下には置かず、従業員が議論し合いながら方向性を決め、決断し、責任を負い、実行していく。だからこそ、ティール組織は多神教であるアジア諸国や日本で受け入れられる組織形態なのであろう。特に日本国こそが、ティール組織のイニシアチブを取っていくべき国であると当方は思う。

 

いずれにしても、人類という生命体が一神教である欧米主導で先導されている以上、今後も徹底的に管理下に置かれることは間違いない。AIしかり、仮想通貨しかり、全てが管理下に置かれ、行動を監視されていくような世界に進んでいくのであろう。これを止めるためには、世界のもう半分を占める多神教の国々である、インド・中国・東南アジア諸国・日本などがもっと密につながり、人間一人一人が神であり、尊重されるべき存在であることを説いていかねばならないのであろう。