目標設定の立て方(相剋の関係)③

先に算命学の概要について記載した。自分軸(本質グループ)、レール、老年レールが分かれば、方向性が分かるのであった。逆にわからないと、全然違う方向性に自分のキャリアプランを立ててしまい、全然人生が上手くいかない!ということになりかねないのだから。

 

算命学を用いると、下記のようにしっかりと自分のキャリアプランが立てられる。どのように生きて、どのような課題に向き合って、どこに向かえば良いのか、エネルギーは低いのか高いのか、どんな性格なのか、相手との相性はどうか、などが全て分かるので、生きるのが楽になるだろう。会社の社長であれば、経営方針が明確化でき、経営が楽になるだろう。

この図からあらゆることが読み取れるという訳だ。その読み取り方は以前にも記載したので、添付しておくので、参照ねがいたい。

20年目以降の会社についての考え方

 

先日に続いて相剋の例で見てみよう。相剋の場合、対立関係にあるので、スムーズに移行できないケースが多い。自分の方向性が、30代後半から40代前半で自己矛盾的に方向転換せねばならないのだから、それはそれは大変なのだ。

 

○芥川 龍之介(35才にて故人) 1892年3月21日生まれ

・本質グループ: 水(陽)

業界地図を塗り替えるパワーと発想力、行動力に長けている。一つの世界を構築すると、それを壊してまた新しい世界を構築したくなる。見かけは柔らかでも、力量は大きく、性質は剛で、周流して停滞しない。ルーズでズルがしこく、物ごとを中途半端で終わらせやすく、永続性にかける。体制に批判的で独自性が強く、一人でいるのを好む。

・レール: 火(陽)

自分の好きなことが見つかると、寝食を忘れるほど徹底的に打ち込める。わがままで、無邪気で、のんびり自然体であり、抵抗勢力によってブレやすいので注意。ノルマ、プレッシャーに弱い。田舎でのんびり、年長さんのように純粋な心を持っており、大人社会には向いてない。人とうまく調和して行動できるが、口数は少なく受け身である。

 

ちょうどレールが出始める時期だったが、ここで大切なのは水(陽)の方向性に乗っていくために、業界地図を塗り替えるほどのパワーと行動力を発揮することであった。あくまで水(陽)は海洋と呼ばれるように、大海原に出る海賊のようなイメージで、一カ所に停滞するのではなく、壊しては冒険し、壊しては冒険しを繰り返すようなタイプなのだ。だから、火(陽)とは全く正反対のような方向性なのである。火(陽)は、純粋無垢に、自分の好きなことだけを徹底してやっていきたいのであり、ノーベル賞候補者が多いのもそういった理由だ。だからこそ、30代は自己矛盾的になり、自分がどのように生きていけば良いかが分からなくなってくるのだ。

 

じゃあ、どうすればいいかというと、まずは、グループにしっかりと乗っている状態で、レールの火(陽)に乗ることを目指す。

○グループの水(陽)の特徴は、壊しては冒険し、壊しては冒険しを繰り返すようなタイプ。なお、水(陽)の開運ポイントは下記の通り。

・枠にとらわれず、自由な創造力で世界を改革していく。

・絶えず新しいものを求めて行動し、変化し続ける。

・自分が会社や世の中に、どれだけ必要とされているかにこだわる。

 

○レールの火(陽)にきちんと乗ることも重要。火(陽)の開運ポイントは下記のとおり。

・美味しいものを食べて、あくせく働かない。

・自分の好きな事のみをやり、趣味と仕事が一致するくらいの方が理想。

・ギャンブルや投資など一切せず、純粋無垢に自然体で生きる。

 

水(陽) ⇐ 火(陽)という相剋の関係であり、水(陽)も火(陽)もお互いに強すぎて、強烈な反発が起こる。とにかく水(陽)にしっかり乗ること!そこから、徐々に火(陽)のレールに乗っていけば良い。実際には、芥川龍之介の場合、水(陽)に十分に乗れていたのだが、そこからレールの火(陽)に乗るのは難しかった。一気に火(陽)にジャンプして乗りたかったところだが、火(陽)の反発が強すぎて、自己矛盾的になり、自我が崩壊し、自殺してしまった。

 

○生涯目標を確認 ⇒ 世界を代表する作家になりたい! 

将来の目標が世界を代表する作家というと、火(陽)のレールに合致しているかは微妙である。火(陽)とは、純粋無垢に自分がやりたいことをやるだけなのだ。世界を牛耳るつもりは無いのだ。だからこそ、地位があがるにつれて、環境も変化していくが、その地位や環境を意識してしまうと自我崩壊に至ってしまう。そうではなく、純粋に好きなようにやってやる!と意識すると世界を代表する人になれたのかもしれないのだから。

 

⇒ 東京帝大在学中の1914年(大正3年)2月に一高同期の菊池寛久米正雄らと共に同人誌『新思潮』(第3次)を刊行。同誌上に処女小説「老年」を発表。作家活動の始まりとなった。1915年(大正4年)10月、代表作の1つとなる「羅生門」を「芥川龍之介」名で『帝国文学』に発表、級友の松岡譲の紹介で夏目漱石門下に入り次々と作品を発表していく。この時点では、本質グループの水(陽)のしっかり乗れていると言える。

 

⇒ 次第に心身が衰え始め、神経衰弱、腸カタルなどを病む。1923年(大正12年)には湯河原町へ湯治に赴いている。作品数は減ってゆくが、この頃からいわゆる「保吉もの」など私小説的な傾向の作品が現れ、この流れは晩年の「歯車」「河童」などへと繋がっていく。1927年(昭和2年)1月、義兄の西川豊(次姉の夫)が放火と保険金詐欺の嫌疑をかけられて鉄道自殺する。このため芥川は、西川の遺した借金や家族の面倒を見なければならなかった。

 

4月より「物語の面白さ」を主張する谷崎潤一郎に対して、「文芸的な、余りに文芸的な」で「物語の面白さ」が小説の質を決めないと反論し、戦後の物語批判的な文壇のメインストリームを予想する文学史上有名な論争を繰り広げるも、「続西方の人」を書き上げた後、斎藤茂吉からもらっていた致死量の睡眠薬を飲んで自殺した。

 

芥川龍之介の場合、壊しては冒険し、壊しては冒険しという水(陽)の性質が強すぎて、壊す力が破壊力抜群であったがゆえに、批判的な意識が過多になってしまったのであろう。冒険的な意識が弱まってしまったのかもしれない。自分で自分の強すぎる内面のバランスをとることが出来なかったのであろう。そんな状態から、さらに強い火(陽)に乗るというのは至難の業であったのかもしれない。

 

それゆえ、世界的な作家を目指して行くというのであれば、まず水(陽)という自分軸に乗り切らねばならない。その際に、批判的な意識と冒険的な意識のバランスをとらねばならない。人のことが気になり、人の批判ばかりにエネルギーを費やしてしまうと、批判的な意識が過多になってしまう。そうではなく、人の批判をしつつ、風習を壊しつつ、俺ならこうする!という模範例を示してやる!という冒険的な意識が強くあれば、やがて新たな風習を確立できるのである。これが水(陽)に乗るということだ。

 

それゆえ、「物語の面白さ」が小説の質を決めないと反論したのであれば、じゃあ、どういうものが小説の質を決めるのか、自分なりの説を打ち出して、皆に認知されるまでやり通すことが必要であったのだろう。これが世界的な作家を目指すという生涯目標を立てたのであれば、通らざるを得ない直近3ヶ年計画ということになる!

 

⇒ 水(陽)の長所は、豊かさ、楽観的、発想力、固定した形を持たないこと。地形と水量に従って勢いや形態を常に変化するように、きわめて融通性があり、可塑性に富み、賢く立ち振るまうことを本質とする。水(陽)の短所は、ゴリ押し、強引さ、気分屋、ギャンブル性、戦略眼があり、勝ち負けにこだわり、負けず嫌いな人が多い。熱しやすく冷めやすいところがあり、そのときの気分で価値観が変わるところがある。それゆえ、最初は良いが、途中から続かない傾向が強く、行動力が伴わないことが多い。よって、行動的な目標よりも、人に教える・伝えるような先生的なことを目標にすると良い。

 

⇒ 自分なりの目標設定が確立出来たのであれば、その目標に向かって、やるべきことをやっていき、自然とレールに乗っていくことを目指すのであろう。そう、自分なりの目標設定がない状態では、決してレールの火(陽)である、純粋無垢に好きなことだけを徹底してやるということができない。いつも人が気になり、人を批判するような意識が芽生えてしまうからだ。その根本原因が、水(陽)に十分に乗り切れていないから、精神のバランスが取れないのだ。そのバランスを取らないことには、楽観的で楽しい日々は訪れることはないのだろう。

 

 

職種は違うが、同じ世界を代表する人物として、長島茂雄さんがいる。長島茂雄さんは、言わずと知れた野球界のスーパースターだ。

○長島 茂雄(85才) 1936年2月20日生まれ

・本質グループ: 水(陽)

・レール:火(陽)

これは芥川龍之介と全く同じ、自分軸、レールを持っているので、極めて参考になるのだ。

 

長島茂雄さんは、1971年5月25日の対ヤクルトスワローズ戦にて、浅野啓司から史上5人目となる通算2000本安打を達成。1708試合での到達は、川上哲治に次いで歴代2位のスピード記録であり、右打者では歴代最速記録である。打順は通常、3番王、4番長嶋であったが、両者のコンディションの良し悪しにより、しばしば入れ替わることもあった。巨人は1965年から1973年まで日本シリーズを9連覇し(V9)、2人はこの間のチームを代表するプレイヤーであった。

 

1974年10月12日、中日の優勝が決まり巨人のV10が消えた日、長嶋は現役引退を表明。翌日のスポーツ新聞の一面は長嶋引退の記事一色となり、中日の優勝はまるで脇に追いやられてしまったという。引退会見では「僕はボロボロになれるまでやれて幸せだった。最後まで試合に出ますよ」と残りの中日戦2試合の出場を約束した。

 

監督になった後は、なりふり構わず自分の理想を追い求め成績は芳しくなく、コーチに抜擢した淡河弘を失い、1979年オフには青田昇を失ったのを筆頭に、1975年から1979年までの間、フロントが11人のコーチ(福田昌久、須藤豊、関根、宮田、淡河、中村稔、瀧安治、黒江、国松、町田行彦鈴木章介)を解任にした。結果が出ずとも、人目を気にせず、自分の理想を追い求めたのが良かった。これで、火(陽)のレールに乗れそうだと実感したであろう。長島茂雄さんが変わらず、周りが変わっていくことで何とか長島茂雄というブランドを維持しようとしてくれるのである。

 

長嶋茂雄さんの最大の成功要因は、楽しもう、野球を愛そう!として自分がエンジョイするからこそ、冒険するからこそ、結果もついてきた。“渾身のフルスイングでの三振”などは長嶋茂雄の代名詞!おおにして結果を追い求めたり、地位を高めよう、権力を維持しようという考えが働きやすい人間界。そんな小さなことより、野球を楽しもう!を選んだからこそ、国民栄誉賞まで到達したのであろう。本当にすごい方だ。
  
そこが芥川龍之介と大きな違いで、羅生門など代表作をヒットさせ絶頂に上り詰めたころにノイローゼになる。原因は、あまりにも空想力が凄まじく、自分の精神が分裂してしまうのではないか!と自分で恐れるほどであった。それを楽しんで、もっとすごい作品を創ってやろう!と冒険的な意識が芽生えればよかったのだが、それができなかった。そして徐々に悪化していき、やがて精神分裂が発症していったという経緯。そのような状態でも“歯車”や“河童”などの作品を晩年にも残しているのは圧巻である。

 

もし、芥川龍之介が、もっと作品を愛し、楽しんでいたのなら。。。でも楽しんだら、あのような作風のものはできあがらなかったのだろうか?想像すらできない世界だ。ただ、言えることは、とにかく水(陽)である海洋、火(陽)であるピースともにエネルギーが凄まじく強いということ。それを上手に軌道に乗せていく作業は困難を要する。自分を知って、楽しんでいくことを心がければ大丈夫だが、迷いだすとそのエネルギーが暴走し止められなくなるので、あまり悩まないことを心がけるべきかもしれない。

 

長島茂雄さんのように、自分なりに野球を楽しもう!という目標設定が確立できれば、芥川龍之介も作家が楽しいと門下生達に思わせることができたのであろう。あのやり方はダメだ!と批判だけでは、門下生は本当に作家業を楽しむことは出来なかったであろう。

楽しむためには、意識を変えて、自分自身のバランスをとり、本当に作家業を好きになってもらうことなのだから。バランスをとるためには、のんびりしたり、運動したりという習慣も必要なのであろう。これが老年期へ向かうための中長期計画となったのだ。

 

 

いかがであろうか。直近3ヶ年計画、中長期計画、を立てることが出来たのが理解できるだろう。このようにして人生の目標設定をしていけば良い。会社であれば経営目標をしていけば良い。こうすることで、仮に自己矛盾的な相剋の関係を持つ本質グループ⇒レールの関係であっても、対処できるということだ。これが分かっていないと、自己矛盾に陥り、崩壊していくことになりかねないのだから。