人間力をアップさせるには?⑤

先に、人間力をアップさせるということについて記載してきた。自分の波動レベルを上げ、多次元視野を持ち、相手の心を動かしていくことが、人間力をアップさせるということだと記載した。これをゆっくりやるのと、スピードアップしてやるのでは、世界がまるで違う。速いスピード下では、一瞬の判断ミスがもう命取りになる。そう、スピードが上がると、途端に世界が変わるのだった。

 

その際に重要になるのが”姿勢”だ。立ち振る舞い、基本動作、意識の使い方など、”姿勢”が極めて重要になるのであった。生きるか死ぬかの極限世界で20年間生きてきた雀鬼桜井章一先生であるからこそ、語れるその”姿勢”という意味を下記に引用したい。こちらを参照。

 

 

『背中は人間の軸です。背中を見れば、つまり姿勢を見れば、だいたいその人の人間としての力量はわかるものなのです。姿勢というのは、それほど大事なものなのです。姿勢というのは、身体そのものの姿勢のことだけでなく、生きる姿勢、その人の生き方をあらわすのです。背中は言葉よりもよく語るのです。』

 

『自分が頼れる人間であれば、つまり「自信」があれば、信仰はいらないことになります。逆に、自分が頼れないのであれば、他人か宗教か、自分以外の何かを信じて頼るよりしかたありません。つまり「他信」です。』

 

『手に余るほどのたくさんの情報があることに、どんな意味があるのでしょうか。情報が願いを叶えてくれるわけではないのです。情報というのは、生かして初めて価値が出るものです。ゴミのような情報がいくらたくさんあっても、個人の生活は何も変わらないのではありませんか。情報を生かす、といいましたが、
情報を選別して自分のものにして役立てる、ということについては、人は昔からやってきました。これは体験を重ねて初めてできることです。これがまさに知恵というものです。いつでも多種多様な情報が得られ、賢くなっていくと思っている人も少なくないでしょうが、実際は反対にバカになっていっているのだと思います。

 

『庶民は生活のなかで他人と接するときの立ち居振る舞いをしっかりと守ってきました。いわゆる「江戸仕草」です。町で暮らしていくうえで、こうした仕草が自然に出ない人は「田舎者」であり、粋とは呼ばれませんでした。こういう仕草は、マナーやルールといった理屈では語れません。何かのためにこういう仕草があるのではなくて、こういう仕草をすることで、他者への思いやりや気遣いといったものが、自然とついてくるのです。まず気持ちのいい仕草があれば、心はちゃんとあとからついてくるのです。』

 

『スピードのことを意識しているうちは、まだダメなのです。大事なのは、スピードのことを忘れるということです。ここらへんは難しいのですが、いかにもスピードがあるように見えるというのは、まだダメなのです。いかにもリズムを刻んでいるというように見えるのもまだダメ。いいリズムというのは、見えないものなのです。同じように、強さということについても、本当の強さというものは見えないものです。つまり、見えないところに本当の強さがある、ということです。自分からも他人からも何も見えなくなる。そういう状況を「無心」といいます。見かけが強そう、というものは、たいがいが弱いものなのです。』

 

『心ももちろん大事ですが、どちらかというと人間は身体です。脳も含めた、身体。手の指のなかでいちばん小さくて目立たないのが小指です。でも、この小指をいかに使うかで、動作の基本ができてきます。何ごとも力に頼ってやるというのは、ドタバタとしてあまり見栄えのいいものではありません。ドタバタするのは「揺れる心」のあらわれです。親指はガチンコの指なのです。ガチガチの硬い勝負、パワーに頼った勝負をやっているようでは、人間まだまだということです。本当に大事なのは小指なのです。小指をうまく使うことによって、柔らかく違和感のない動きが出てくるのです。

 

柔らかい身体の動き、つまり仕草がなっていないのです。仕草がなっていないから、心が乱れているのです。仕草がきれいになれば本人も気持ちいいし、見るほうも気持ちいい。茶道などでもこういうことを重んじているわけで、つまりは美意識です。「この人、できるな」というのは、仕草ひとつでわかってしまうものです。小指を意識しながら動くと、次の動きへのつながりができます。動きに連続性が生まれます。親指に象徴される「力」だけでは、まだまだ未熟なのです。』

 

『人生、調子の悪いときもあります。では、何ごともうまくいかないとき、やることなすこと裏目に出てしまうようなとき、どうすればいいかといえば、ただ待つしかないと思います。いまは潮が引いているけれど、
やがてまた潮が満ちてくるときがあるのです。その周期を待つのです。人生の時間というのは、あるいは人間の周期というものは、いつも変化しているものです。いままでまったくうまくいかなかったことが、一時間後に急にうまくいくようになったりするものです。不調だったものが、急に好調に移行したりするのです。引いた潮はふたたび満ちてくるのです。真っ暗な夜の次にはかならず新しい朝がくるのです。ドン底だったものはやがて浮上してくるのです。』

 

自然はいつも変化していて、そのなかで生かされているわれわれ人間も、常に変化しているのです。きのうの自分とあしたの自分は、もう違うのです。若い人たちには、ぜひそのことを知っておいてもらいたいと思います。そういうことさえ知っていれば、必要以上にいまの不調を悩むこともないのです。』

 

『たとえば違和感を覚えることをやっていて、そこで壁にぶつかったとしよう。しかし、それはそもそも壁にぶつかる以前の方向性や行動が間違っていたともいえるのだ。そんな壁はさっさと無視して、退却したほうがいい。そういう処し方を含めて「突破力」というものがあると思う。

 

『人と違った道というのは、すでに誰かが歩んだ道ではなく、自身で切り開く道です。多数派の道が「見える道」だとすれば、こちらは「見えない道」です。そこに踏み込むのには、勇気がいります。若い人には、自分だけの「見えない道」を選んで、自分だけの何かを手にしてほしいと思います。いまは、みんなが安定志向で「見える道」を行きたがりますが、みんながみんな同じ「見える道」を歩もうとするから、その道が荒れてしまうのです。』

 

『運は目に見えるものではありません。だからこそ、感じなければダメなのです。兆しや気配を感じて、ものごとの流れの変化を掴み、その上でさらに自分が望む流れをつくっていければ、運命は確実に変えることができるのです。すべてのものは絶え間なく変化しています。それにリズムを合わせることができれば、自然に運命は変わっていきます。その変化を感じとり、流れを掴めばいいだけのことです。これが、本来人間なら誰もがもっていた「自然の感性」というものです。』

 

『運に恵まれている人は肩の力が入っていないものです。それを取り戻すには、自分を含めた自然のもつ「生命のリズム」、日常における「正しい仕草」、「中庸 (バランス) の感覚」の3つを磨いていくことです。「自然の感性」はまさに、人やものごとに対して、それが自然か不自然なものかを瞬時にして見分けます。不自然なものは、違和感や不条理感をもたらすものです。それが即座にわかるのです。運をつくる材料を自然の感覚で無心に見つけられる人であれば、運のほうからその人を選んでくれるのです。』

 

 

いかがであろうか。いかに”姿勢”が重要かがわかるであろう。立ち振る舞い、基本動作、意識の使い方、これらの”姿勢”が流れるようにしなやかで、見ているものを魅了するほど美しい時、そこには自然との調和をもたらし、運をももたらすのである。これがすごい人の正体である。ここが理解できれば、あなたもここに向かっていくことが出来ると言うことだ。