人間力をアップさせるには?⑥

先に、人間力をアップさせるということについて記載してきた。自分の波動レベルを上げ、多次元視野を持ち、相手の心を動かしていくことが、人間力をアップさせるということだと記載した。さらに、これをゆっくりやるのと、スピードアップしてやるのでは、世界がまるで違う。速いスピード下では、一瞬の判断ミスがもう命取りになる。そう、スピードが上がると、途端に世界が変わるのだった。それゆえ、いかに”姿勢”が大事なことか。”姿勢”が正しければ、力が抜け、意識や運気までをも意のままにできるのであった。

 

その”姿勢”を身につけるためには、やはり日々の習慣化(ルーティーン)が必要なのであろう。”姿勢”は1日にしてならず。YAWARAちゃんでも出てきたが、”柔の道は1日にしてならずじゃ”ということだ。日々、繰り返し行われる基本姿勢こそが、明日を作り上げていく。以下、『天才たちの日課、著:メイソン・カリー』より引用する。

 

本書『天才たちの日課』には、変人にまつわるエピソードも収録されている。しかし、その変人たちですらルーティン、つまり規則正しい生活を繰り返している。天才や革新者のイメージに反して、早朝に起きて仕事をはじめる「朝型人間』が過半数を占めている。ほとんどの天才たちは、きちんと仕事を終えてからお酒を飲む。なるべく愛する人や家族と過ごすようにしていた。推理作家のアガサ・クリスティは、家事をおろそかにせず、スキマ時間をつかって数々の名作ミステリを書き上げている。

 

中でも、村上春樹先生の習慣は興味深い。『長編小説を書いているとき、午前4時に起き、5、6時間ぶっとおしで仕事をする。午後はランニングをするか、水泳をするかして(両方するときもある)、雑用を片づけ、本を読んで音楽をきき、21時に寝る。「この日課を毎日、変えることなく繰り返します」2004年のパリス・レビューで村上先生はそう語っている。「繰り返すこと自体が重要になってくるんです。一種の催眠状態というか、自分に催眠術をかけて、より深い精神状態にもっていく」 村上先生によると、長編小説を仕上げるのに必要な期間ずっとそれを続けるには、精神的な鍛練だけでは足りないという。「体力が、芸術的感性と同じくらい必要です」と。』

 

偉人達の日々の生活スタイルを161人分集めた特異な内容だが、おおよその傾向としては作家・画家は習慣を大事にし、朝に創作多い。科学者は時間を忘れのめり込む、作曲家は閃きが大事って感じだろうか。天才と呼ばれる人達にも、それぞれの日課がある。 ルーティンのようなものがある人もいれば、まるで怠惰のような人もいる。 全員が全員、とてつもない日課をこなしているわけではない。161人分のエピソードに裏打ちされた『成果を上げるために魔法のような道は存在しない』という事実がある種、核心をついているところであろう。

 

仕事の生産性を高めるためのマインドセットや、クリエイティブな仕事をするため頭のリフレシュなどをみんな持ち合わせている。しかし天才たちの日課は真似できないものではなくて、とても庶民的だ。多くの人が早起きをして、案外普通というか、規則正しい真面目な生活をおくって着実に仕事をしていたことに驚いただろう。そしてそのこだわりの習慣を、それぞれの人が何年も続けて素晴らしい仕事をしたのだと知れるだろう。

 

 

普通の人との違いは、おそらく、自己をうまくコントロールするための工夫を日常に組み込んでいるかどうかだと思う。”姿勢”は人それぞれ違うのもだし、仕事の内容も違う。それぞれに型があり、その型を磨いていくために日常を過ごす。その過ごし方が、漫然とではなく、多くの場合ルーティーンのようなものがあるということだ。その日課を毎日繰り返すことで、偉人の域にまで到達するのであろう。これが人間力をアップさせる方法なのであろう。

人間力をアップさせるには?⑤

先に、人間力をアップさせるということについて記載してきた。自分の波動レベルを上げ、多次元視野を持ち、相手の心を動かしていくことが、人間力をアップさせるということだと記載した。これをゆっくりやるのと、スピードアップしてやるのでは、世界がまるで違う。速いスピード下では、一瞬の判断ミスがもう命取りになる。そう、スピードが上がると、途端に世界が変わるのだった。

 

その際に重要になるのが”姿勢”だ。立ち振る舞い、基本動作、意識の使い方など、”姿勢”が極めて重要になるのであった。生きるか死ぬかの極限世界で20年間生きてきた雀鬼桜井章一先生であるからこそ、語れるその”姿勢”という意味を下記に引用したい。こちらを参照。

 

 

『背中は人間の軸です。背中を見れば、つまり姿勢を見れば、だいたいその人の人間としての力量はわかるものなのです。姿勢というのは、それほど大事なものなのです。姿勢というのは、身体そのものの姿勢のことだけでなく、生きる姿勢、その人の生き方をあらわすのです。背中は言葉よりもよく語るのです。』

 

『自分が頼れる人間であれば、つまり「自信」があれば、信仰はいらないことになります。逆に、自分が頼れないのであれば、他人か宗教か、自分以外の何かを信じて頼るよりしかたありません。つまり「他信」です。』

 

『手に余るほどのたくさんの情報があることに、どんな意味があるのでしょうか。情報が願いを叶えてくれるわけではないのです。情報というのは、生かして初めて価値が出るものです。ゴミのような情報がいくらたくさんあっても、個人の生活は何も変わらないのではありませんか。情報を生かす、といいましたが、
情報を選別して自分のものにして役立てる、ということについては、人は昔からやってきました。これは体験を重ねて初めてできることです。これがまさに知恵というものです。いつでも多種多様な情報が得られ、賢くなっていくと思っている人も少なくないでしょうが、実際は反対にバカになっていっているのだと思います。

 

『庶民は生活のなかで他人と接するときの立ち居振る舞いをしっかりと守ってきました。いわゆる「江戸仕草」です。町で暮らしていくうえで、こうした仕草が自然に出ない人は「田舎者」であり、粋とは呼ばれませんでした。こういう仕草は、マナーやルールといった理屈では語れません。何かのためにこういう仕草があるのではなくて、こういう仕草をすることで、他者への思いやりや気遣いといったものが、自然とついてくるのです。まず気持ちのいい仕草があれば、心はちゃんとあとからついてくるのです。』

 

『スピードのことを意識しているうちは、まだダメなのです。大事なのは、スピードのことを忘れるということです。ここらへんは難しいのですが、いかにもスピードがあるように見えるというのは、まだダメなのです。いかにもリズムを刻んでいるというように見えるのもまだダメ。いいリズムというのは、見えないものなのです。同じように、強さということについても、本当の強さというものは見えないものです。つまり、見えないところに本当の強さがある、ということです。自分からも他人からも何も見えなくなる。そういう状況を「無心」といいます。見かけが強そう、というものは、たいがいが弱いものなのです。』

 

『心ももちろん大事ですが、どちらかというと人間は身体です。脳も含めた、身体。手の指のなかでいちばん小さくて目立たないのが小指です。でも、この小指をいかに使うかで、動作の基本ができてきます。何ごとも力に頼ってやるというのは、ドタバタとしてあまり見栄えのいいものではありません。ドタバタするのは「揺れる心」のあらわれです。親指はガチンコの指なのです。ガチガチの硬い勝負、パワーに頼った勝負をやっているようでは、人間まだまだということです。本当に大事なのは小指なのです。小指をうまく使うことによって、柔らかく違和感のない動きが出てくるのです。

 

柔らかい身体の動き、つまり仕草がなっていないのです。仕草がなっていないから、心が乱れているのです。仕草がきれいになれば本人も気持ちいいし、見るほうも気持ちいい。茶道などでもこういうことを重んじているわけで、つまりは美意識です。「この人、できるな」というのは、仕草ひとつでわかってしまうものです。小指を意識しながら動くと、次の動きへのつながりができます。動きに連続性が生まれます。親指に象徴される「力」だけでは、まだまだ未熟なのです。』

 

『人生、調子の悪いときもあります。では、何ごともうまくいかないとき、やることなすこと裏目に出てしまうようなとき、どうすればいいかといえば、ただ待つしかないと思います。いまは潮が引いているけれど、
やがてまた潮が満ちてくるときがあるのです。その周期を待つのです。人生の時間というのは、あるいは人間の周期というものは、いつも変化しているものです。いままでまったくうまくいかなかったことが、一時間後に急にうまくいくようになったりするものです。不調だったものが、急に好調に移行したりするのです。引いた潮はふたたび満ちてくるのです。真っ暗な夜の次にはかならず新しい朝がくるのです。ドン底だったものはやがて浮上してくるのです。』

 

自然はいつも変化していて、そのなかで生かされているわれわれ人間も、常に変化しているのです。きのうの自分とあしたの自分は、もう違うのです。若い人たちには、ぜひそのことを知っておいてもらいたいと思います。そういうことさえ知っていれば、必要以上にいまの不調を悩むこともないのです。』

 

『たとえば違和感を覚えることをやっていて、そこで壁にぶつかったとしよう。しかし、それはそもそも壁にぶつかる以前の方向性や行動が間違っていたともいえるのだ。そんな壁はさっさと無視して、退却したほうがいい。そういう処し方を含めて「突破力」というものがあると思う。

 

『人と違った道というのは、すでに誰かが歩んだ道ではなく、自身で切り開く道です。多数派の道が「見える道」だとすれば、こちらは「見えない道」です。そこに踏み込むのには、勇気がいります。若い人には、自分だけの「見えない道」を選んで、自分だけの何かを手にしてほしいと思います。いまは、みんなが安定志向で「見える道」を行きたがりますが、みんながみんな同じ「見える道」を歩もうとするから、その道が荒れてしまうのです。』

 

『運は目に見えるものではありません。だからこそ、感じなければダメなのです。兆しや気配を感じて、ものごとの流れの変化を掴み、その上でさらに自分が望む流れをつくっていければ、運命は確実に変えることができるのです。すべてのものは絶え間なく変化しています。それにリズムを合わせることができれば、自然に運命は変わっていきます。その変化を感じとり、流れを掴めばいいだけのことです。これが、本来人間なら誰もがもっていた「自然の感性」というものです。』

 

『運に恵まれている人は肩の力が入っていないものです。それを取り戻すには、自分を含めた自然のもつ「生命のリズム」、日常における「正しい仕草」、「中庸 (バランス) の感覚」の3つを磨いていくことです。「自然の感性」はまさに、人やものごとに対して、それが自然か不自然なものかを瞬時にして見分けます。不自然なものは、違和感や不条理感をもたらすものです。それが即座にわかるのです。運をつくる材料を自然の感覚で無心に見つけられる人であれば、運のほうからその人を選んでくれるのです。』

 

 

いかがであろうか。いかに”姿勢”が重要かがわかるであろう。立ち振る舞い、基本動作、意識の使い方、これらの”姿勢”が流れるようにしなやかで、見ているものを魅了するほど美しい時、そこには自然との調和をもたらし、運をももたらすのである。これがすごい人の正体である。ここが理解できれば、あなたもここに向かっていくことが出来ると言うことだ。

人間力をアップさせるには?④

先に、人間力をアップさせるということについて記載してきた。自分の波動レベルを上げ、多次元視野を持ち、相手の心を動かしていくことが、人間力をアップさせるということだと記載した。今回は、これを瞬時にこなしていくスキルについて記載したい。

 

ゆっくりやるのと、スピードアップしてやるのでは、世界がまるで違う事は理解できるだろう。例えば運転も同じだ。50Kmの運転であれば、いろんなところに視野を向け、ゆっくりハンドルを切っていけば間に合う。しかし、120kmのスピード下での運転はそうはいかない。一瞬の判断ミスがもう命取りになる。ハンドルさばきも一瞬の誤操作が命取りになる。そう、スピードが上がると、途端に世界が変わるのだ。

 

先までの波動レベルを上げ、多次元視野を持ち、相手の心を動かしていくことを、ゆっくり時間をかけてやるのは出来るかも知れない。しかし、ほんの一瞬で全てをやらねばならないような危機的状況の場合、そんな余裕は無い。一瞬の判断ミスが取り返しのつかないことになったり、命取りになったりする。クレームや大きな商談で、一つの判断ミスや言葉の選択ミスがもう命取りになるのだ。そんなヒリヒリした場面で、流れるような所作や判断が出来る人こそが、すごいと言われる人なのであろう。

 

会社でも、そのような危機的状況に陥ることは少ないかも知れないが、そのような場面でもみごとに所作や判断を的確に行えるようになることこそが、我々が目指すべきことなのであろう。それにはどうすれば良いのか?それは、”思考を使わない”ということだ。これには、雀鬼桜井章一先生の教えがとても参考になるので、いかに引用したい。

 

・集中力とは意識を広げること

『皆さんは「集中力」というと、どういうイメージを持っているだろうか?一点に気持ちを集中させ、ほかのことを考えない状態?私が麻雀の実践で培った集中力というのは、それとはまったく違うものだ。一点だけに集中するのではなく、意識が広く全体に行き渡る感じだ。心を穏やかに揺らさず、360度あらゆる方向に自分の意識を広げていく。すると自分の回りのあらゆること、変化に気づくことができる。麻雀をやりながら、向こうで誰かがトイレに立ったなとか、誰と誰がしゃべっているなとか、後ろで誰かがタバコを探しているなとか。自分の背後の出来事まで気づき、見えてくる。そういう状態が私の言う「集中」だ。

 

一点に意識が向かうと、それに捉われてしまう。すると周囲で起こっている微妙な変化に気がつくことができない。それでは麻雀に勝つことはできない。麻雀は1対1ではなく3人との勝負だ。しかも136枚の牌の組み合わせは無限であり、そこから生み出される場の流れ、勝負の綾もまた無限に変化していく。麻雀をやった人ならわかるが、最初はピンフ手を作るつもりが、配牌の流れによって七対子の手になったり、対々和混一色清一色など、目指すべき手が変わっていく。また、相手の手の速さ、ポンやチーの鳴き、そしてリーチなどで展開が変わっていく。その時々刻々と変化する状況を素早く察知し、それに対応する力が求められる。

 

それだけじゃない。相手の打っている様子、姿を見て、その微妙な癖や変化を捉える。あいつは調子が悪くなったなとか、こいつはテンパイが近いなとか、どんな牌を欲しがっているなとか相手の状況を見る。それと同時に、相手の性格も見分ける必要がある。こいつは攻めには強いけど守りに入るとめっぽう弱い。こいつは威勢はいいけれど気が小さい。こいつは冷静だけど勝負をかけず守りを固める……。

 

 

・麻雀では小指の動きが大事になる

麻雀は、気づきのゲームだ。膨大でかつ微妙な変化に対してどれだけ気づくことができるか?その気づきができるようになるためには、頭を使って考えていては到底対応などできない。自分の中のあらゆる感覚、五感を研ぎ澄ませ、センサーを360度に向けなければならない。そして瞬時に判断して、その変化に対応していく。頭ではなく感覚でなければ無理だろう。

 

私がやっている競技団体「雀鬼会」の麻雀は、2秒以内にツモって切る。半チャンも15分あれば終わってしまう。普通の人たちから見ると、何も考えず機械のようにツモ切りしているように見えるでしょう。ところがこの速さでやることで、頭ではなく感覚で判断することができるようになる。また、そうでなければできることじゃない。彼らは2秒という瞬時の合間に、場の流れを読み、相手の動きを察知し、どんな手を目指し、何を切るべきかを判断する。そしてそのように的確に行動する。

 

2秒以内にツモって切るからには、体と手の動きも重要だ。ムダな動きが入ったらとても2秒では切ることができない。人差し指と薬指で牌の両端を軽く持ち、中指は軽く牌の上に置く。そして切る際に親指を牌の下の先端に引っかけて、くるりと指の中で一回転させて捨てる。ちなみにその際に重要になるのが小指だ。小指なんて一見何も働いていないように見えるでしょう?牌を切った後、手と腕を自分のほうに戻す際、小指を内側に巻き込む。すると力を入れずして自然に腕が自分のほうに戻ってくる。しかも次の動きに自然に入りやすい状態になる。だから動き全体がムダなく自然な流れになる。一見働いていないように見えるものほど、実は重要だってことです。

 

このように、ツモって切るまで2秒。そのわずかな時間で、普通の麻雀をやる人が10秒、20秒考えても追いつかない膨大な情報量を処理しているんだ。それができるのは頭ではなく感覚と体で打つから。だから雀鬼会の道場生たちは普通の子たちに比べてはるかに感性が磨かれ、「気づく」人間になっていく。そして体で反応できる人間になっていく。雀鬼会の麻雀は、2秒以内にツモ切りする。つまり頭で考えて打つ麻雀じゃない。感性と感覚で打つ麻雀だ。勉強ばかりしてきた人にはこれが難しい。頭で、理屈で考えてしまうから、どうしても時間がかかる。この「遅さ」が、実生活のあらゆるところに出てしまう。周りの人たちの様子や変化に気づくことも、それに対応したり、何か用意したりすることも遅い。

 

感覚や直感というのは、一瞬だ。雀鬼会は麻雀もそうだけれども、活動全体の中で「感覚」を重んじている。感覚を磨くことが人間として、というよりも生き物として大事だ。自然の動物たちを見てごらんよ。彼らは頭で考えて行動しているだろうか?そんなことをしていたら、いざというときに襲われて食われてしまう。あらゆる現象や状況の変化に、感性と感覚で瞬時に対応することができなければ生き残っていけない。

 

雀鬼会ではすべてにおいてリズムが大事になる。麻雀にしてもそのほかの活動にしても、日々の会話にしても。そのリズムに、勉強ばかりしてきた人間ほど乗り遅れてしまう。知性を重視して、知識ばかりため込んできたツケがまわっちゃったんだ。だから思考も行動も重いし、鈍い。「知識や情報をため込みすぎて、自分を重くしているんだよ」とアドバイスする。そして「よけいな知識なんて捨てちまいな。自分を軽くしな」と言ってやるんだ。

 

 

・力んでつかむから素早く離せない

ところが、自分が抱えているものが実はガラクタで、役に立たないシロモノだとわかっても、それを捨てることができない。捨てるということは、それだけ難しいことなんだ。雀鬼流の麻雀では、姿勢や立ち振る舞いを重視している。力を抜いて自然体で卓に向かう。上家が牌を捨てたことを確認し、静かに手を伸ばして力を入れず優しくツモる。流れるように牌を自分の元まで引き寄せ、目の前で牌を確認し、切る牌か自分の手元に残すかを一瞬で判断する。そしてやはり自然体のまま、流れるようにスッと自然に捨てる。

 

何気ない一連の動作だけれど、たいていは肩や腕などに、余計な力が入ってしまう。「力を入れて握ったら、次の動作ができないじゃないか」と教えている。次の動作とは、変化に対応することだ。私から見ると牌が指にくっついているように見える人がいる。指に力が入りすぎているから、捨てるときもスムーズに切ることができない。卓にたたきつけるように力を入れないと捨てられない。それはムダな力を使っているということ。「おいおい、そんなふうにつかんだら、牌が苦しいだろう」と言ってやる。

 

力んでつかむ人は、その深層心理の中で「何かを得たい」という気持ちが強い。そして一度つかんだものを「離したくない」という気持ちも強い。だからツモから牌を切って捨てるまで、全体に力が入ってしまう。まず姿勢を正して、力を抜く。力みを取りフォームを正すことで、心の中の欲の部分が消えていく。』

 

 

いかがであろうか。まずは、このような自然体の構え、姿勢、心の持ち方が重要なのだ。スピードを普段からアップさせて取り組む事で、余計な力が入ることを排除させていく。思考もしかり、所作もしかり、判断もしかりだ。迷っても思考しない。迷ったときは感覚を研ぎ澄ますことだ。それが結果として、最善の方向に向かう方法なのだから。これが雀鬼桜井章一先生の教えであるから、日々実践していってほしい。繰り返すが、ゆっくりやるなら簡単なのだ。目にもとまらぬ速さで流れるような所作や判断をすることがどれほど難しいことか。それを日々実践していくことが、人間力をアップさせる方法にもなるということだ!

相手を動かす方法(波動レベル9)

先に、相手(複数)を動かす方法について記載した。今回は、相手(個人もしくは個別の部署)を動かす方法(波動レベル9)について記載したい。

 

相手が個人もしくは個別の部署の場合は、テンポ良く語るというよりは、傾聴し、相手のやる気を引き出すことが主眼となる。語りは少なく、語り:傾聴の割合は、2:8の割合程度であろう。先の相手が複数の場合は、語り:傾聴の割合が、8:2の割合程度であったことを考えると、全く違うということがわかるだろう。その違いを認識しながら、しっかりと対処していかねばならないのだ。

 

・発達課題第9段:老年的超越

次は発達課題第9段を見ていく。この第9段:老年的超越の課題がクリア出来ていないと、死の恐怖に襲われる。生きたいと思わなくなる。通常出来たことができなくなり、身体も重く、心も重く、出かけることさえ億劫になる。何もかもが嫌になり、死んだ方がマシと思えてしまう。詳細はこちらを参照ねがう。

 

超老年期は、おおむね85才以降の人生であり、このころにまだ仕事をしている人は一握りかもしれない。しかし、今後の社会では、人生100年ということを考えると、85才でもまだまだ現役であるハズなのだ。もしあなたがこの超老年期の日々迫り来る失調要素を受け入れることが出来ているのならば、老年的超越性に向かう道への前進に成功しているのかもしれない。生への願望やさらなる恵みや光となるものへの希望に満ちているのならば、あなたは生きる理由を持っている。

 

英知、優れた知恵や深い知性、「死そのものに向きあう中での、生そのものに対する聡明かつ超然とした関心」、それらには、見ること聴くことが不可欠である。さらに統合には触れるという要素が必要だ。しかし、老人は、良好な視力も鋭敏な聴覚も持ってないのが普通である。そこで出てくる失調要素である、「絶望」。この「絶望」も、第8段と第9段では、その意味が違ってくる。第8段は、今までの人生が受け入れられるかどうか、その際、後悔があまりにも勝つと絶望してしまう。しかしこれが第9段になると、もう回想している余裕も無く、実際の問題に追われる日々となる。能力の喪失や崩壊が、関心の全てとなってくる。「贅沢な回想など、してはいられなくなる」という状態だ。

 

少しでも諦めや絶望に関心を払ってしまうと、もう老年的超越性に向かう道は閉ざされてしまう。1日1日が生きるか死ぬかの戦いとなるのだ。来る日も来る日も、生への願望を絶やさず、恵みや光となるものへの希望に満ちている状態でいる必要がある。いかに難しいかがわかるだろう。

 

かのデイヴィッド・ロックフェラーは101才で2017年3月20日にこの世を去った。徹底して健康には気を配り、食べ物は自分の畑で取れた野菜しか食べず、食事には徹底的に気を遣った。死ぬ直前まで現役であり続け、100才でもまだしっかりと世界を統治しており、インタビューにも答えている。こちらを参照。

 

執念と言えるまでのあくなき生への願望。それが日々迫り来る失調要素をも超越し、100才を越えてもまだなお、現役であり続けた真相なのであろう。悪事の数々はさておき、良い意味で、第9段:老年的超越を成し得た事例となるのかもしれない。これほどのエネルギーを肉体に込められたのも、やはり食事の影響は大きいのだろう。添加物や肉はいっさい摂取せず、完全オーガニック食材を自宅で育て、それを日々食していたほどの徹底した拘りが、エネルギーを生み出したのかもしれない。

 

今の日本国は、添加物にまみれ、遺伝子組み換え食物にまみれ、とてもエネルギーが湧くような食材ではないものが出回っている。これも支配者層のもくろみなのであろうが。それゆえ、普通に食事をしていては、とてもこの第9段:老年的超越の課題をクリアすることは難しいと言うことだ。自分の畑でとれた野菜や果物を食べて、昔ながらのぬか漬けや味噌をたべて、ようやくエネルギーが湧いてくるのであろう。それが日々迫り来る、能力の喪失や崩壊への対処法であることをデイヴィッド・ロックフェラーから教えられているのだ。


このように 「超老年期」 には、余裕など全くなくなるほど、日々が戦いとなる。1日1日を必死で生きていくだけとなる。世の中のために、社会のために、恵みとなり、光となるという願望が強烈であればあるほど、老年的超越の課題はクリアに近づくのであろう。簡単では無い。仮にこのような100才を越えるような人が多数出てくる世の中になった際、会社はどのように関わっていくのであろうか?作業をすることはもはや難しい。出来ることは、影響力を行使することのみであろう。

 

そのため、老年期(65~84才)までに、いかに自分のコミュニティを形成し、影響力を保ち続けるかがポイントになるのであろう。会社ではない、外のコミュニティと会社が関わり合って、会社への業績を支えてくれる、そんなコミュニティが幾つも誕生するということだ。現代の社会では、このようなコミュニティは権力者だった人が、引退後もその権力を行使するために設立する財団のようなものが多い。しかし、今後の社会は、一般人であっても、権力がなくても、その影響力を行使できるようなコミュニティが誕生していくということだ。それは”愛”を中心としたコミュニティなのだろう。

 

かのマザーテレサは、「神の愛の宣教者会」の創立者。多くの影響力を行使し、世界に”愛”を広めていった。決して”お金”を稼ぐような権力者ではなかったが、”愛”のエネルギーが強烈に強かった。この強いエネルギーを行使してのコミュニティであった。このようなコミュニティが、今後は増えていき、それが若い世代が経営する会社と関わり合いを持ち、影響力を行使していくという具合になるのだろう。これが第9段:老年的超越の課題をクリアするということだ。

 

 

いかがであろうか。発達課題第9段:老年的超越の課題をいかにクリアするか、という話であった。決して簡単ではないが、人類の最後の課題とも呼ばれているこの老年的超越の課題をクリアした暁には、波動レベル10という”さとり”に近づくのであった。

相手を動かす方法(波動レベル8)

先に、相手(複数)を動かす方法について記載した。今回は、相手(個人もしくは個別の部署)を動かす方法(波動レベル8)について記載したい。

 

相手が個人もしくは個別の部署の場合は、テンポ良く語るというよりは、傾聴し、相手のやる気を引き出すことが主眼となる。語りは少なく、語り:傾聴の割合は、2:8の割合程度であろう。先の相手が複数の場合は、語り:傾聴の割合が、8:2の割合程度であったことを考えると、全く違うということがわかるだろう。その違いを認識しながら、しっかりと対処していかねばならないのだ。

 

・発達課題第8段:統合性

次は発達課題第8段を見ていく。この第8段:統合性の課題がクリア出来ていないと、絶望の波に襲われる。死というものを受け入れることができなくなる。常に死の恐怖に怯え、何も人生で成し得なかったと後悔の連続となり、迫り来る老化現象に、日々絶望していく。仕事においても、家庭においても、個人においても、十分やってきた!という感覚が持てず、いったい何をしてきたのだろう?と後悔と悲しみと絶望に打ちひしがれることになる。詳細はこちらを参照ねがう。

 

老年期は、家庭の面では子育てが完了したり、仕事も面では定年後再雇用されたりと、それぞれに人生を経てきた中でいよいよ役割の方向転換を迫られる時期になる。この時期に重要となるのは、“自分の人生の聞き手との出会い” 。この時期には、これまで歩んできた人生の振り返りの時期でもあり、人生を自らの納得に基づいて歩んでこれたかどうか? を見つめ直す時期でもある。人生を歩んできた過程の中では、良いことや悪いこともあるだろうし、上手くいった事、上手くいかなかった事もあるだろう。そして、成功したこと、失敗したこと・・・等々、その全ての人生を受け入れていく時期になる。良いことや悪いことも全て、自己を形成してゆくが為の人生として受け入れられたなら、統合性、つまりは“自己を肯定できる心” を育ませてゆく事になる。

また、統合性を受け入れてゆくが為の過程においては、これまで獲得してきたそれぞれの段階における 「同一化」 がいかに獲得されてきたか? との度合いによって、自らの心で納得できうるものになるかの分かれ道になる。そしていよいよこの時期になると、 “死” と言うものの受け入れを始める時期に入っていく。今まで歩んでこれた人生を受け入れていく事が出来たなら、統合性のとれた状態が自らの死をも受け入れる心を育ませてゆ

しかし、自分の歩んできた人生に満足感や納得感が得られない場合には、 「統合性 < 絶望」 となり、自分の人生に納得できず、後悔しながら 「絶望感」 を強く心に抱いてしまう場合がある。その背景には、これまで自分の歩んできた人生全てにおいて ・・・ 「職業的な意義」「社会的な意義」「家庭的な役割」 や、もっとも 「個人的な意識」 全てにおいて、自分自信の納得感をもってそれぞれの段階においての 「課題」 を克服して来れたかどうか? によって大きく影響されるものとなり、それらが獲得出来ていない場合には、どうしても 「絶望的」 にならざる得ない部分がある。

 

そうして 「老年期」 を、老衰や衰退といった後悔の考えで受け入れてゆくのか? それとも、そういったすべてのマイナス要因を受け入れながら、プラスの考えで受け入れていくのか? と言うことは、まさに、発達段階の中での 「乳児期」 ~ 「中年期」 に至る課題をいかに克服して生きてこれたか?と言うことが大きく影響してゆく。

そして、それぞれの段階においての 「課題の克服」 は、いずれも “他者との関わり合い” を通じて 「自分」 と言うものの確立。つまりは、 “同一化” することによって “自分は自分である” 言った、一本の筋の通った “考え” や “価値観” をもって、どの程度なされてきたのかと言うことによって成熟された「英知」が導かれてゆく・・・。ただ、 「老年期」 の時期にこれまでの人生が、たとえ後悔に満ちた人生だったとしても、 「この世に生まれ、この世界に残してきたものがある」 ・・・そう思う心を感じられたなら、自らの人生を“肯定できる人生”へと心を育ませてゆくものなであり、そして、 「もう一度獲得できなかった部分を補いながら生きていけば大丈夫なんだ」 と、そう自分自身が思えたなら統合性を養い、内面的に満たされたものとなる。そして、人生の最終段階で、 「自我の統合性 > 絶望」 となっていれば、 「英知」 が導かれてゆくものなのだ。


このように 「老年期」 には、今まで残っている各段階の 「課題」を総じて解決する時期でもあり、そういったものと向き合うことで心が育まれ、いよいよ前世からやり残してきた自己実現の欲求が芽生え、次の段階に進むことができるのだ。

 

老人になっても第8段:統合性の課題が残ったままの人の場合、「絶望」の心を多くため込んでしまっており、寂しさ、空しさに耐えられない状態になっているのだ。だからこそ、仕事を辞め、お酒やギャンブル、趣味に走ることになる。人生60年の時代はこれで良かった。仕事を終えれば、後は余生を過ごすのみ!というのは一昔の話だ。今は、人生100年なのだ。どうやって100年も乗り切るつもりなのか?絶望の波をどうやって受け止めるつもりなのか?この第8段:統合性をクリアしない限り、100才を越えるのは難しいだろう。逆に、クリアすれば、100才の壁を突破してもまだなお、110才、120才と、人生を謳歌できるのだ。

 

しかし、社会はまだこの途中過程だ。まだ定年が70才という低い年齢だ。今後、さらなる議論が行われ、定年廃止や定年100才という会社が多く登場することだろう。その頃には擬態やアンドロイドが社会に広がっているため、老人でも擬態を装着すれば、十分歩けるという時代になっているだろう。ただ、いくら擬態を装着し、身体が動くからと言っても、精神が老化していては、会社に継続雇用されることはないだろう。いわゆる”老害”と呼ばれる症状になり、こり固まった思考により、自分が歩んできた経験を若者に押しつけ、偉そうに威張り、ミスを指摘したら怒り出すという、やっかいな症状だ。このような”老害”は決して第8段:統合性の課題をクリアすることはできないだろう。

 

仮に、上記に記載したように、まだ未解決の各段階の課題をクリアしようと尽力し、ほぼクリアし、さらに第8段:統合性の課題をクリアしようと尽力している人は、とても柔軟だ。若者にも挨拶するし、指示されても笑顔で従うし、教えを請うし、謙虚だ。それでいて、叡智は持ち合わせているので、随所に叡智を発揮して組織に貢献するし、人柄も温和なので、若者の中にも溶け込むことができるのだ。まずは、個人の側がここまで準備をしておく必要がある。その後は、会社側の判断で、どうやってこの老人を会社で継続雇用していくかは、それぞれの会社の判断となる。このような人を多く雇用していけば、社会的に評価され、注目され、会社は存続できるだろう。

 

じゃあ、どうすれば良いのか?どうすればこのような第8段:統合性をもクリアできる人に育成できるのか?疑問に思うだろう。結局、会社側ができることは何も無く、ただ、個人がクリアするのを待ち、クリアした個人のみを継続雇用するという方法にならざるを得ないと思う役員も多いだろう。「絶望」が過剰な人の場合は、趣味に明け暮れたい!と、定年を待たずに退職していくかも知れない。役員は、そんな人は、会社には不要だと思うだろう。新卒を雇った方がよほど使い勝手が良いと思うかもしれない。

 

秘訣は、「老年レールに乗る」を目指すことだ。先の第7段「レール」は、”月支元命”(別名:レール)と呼ばれる軸であったが、今度はさらに軸が変化し、”老年レール”と呼ばれる軸が現れる。これが最後の性格の転換となる。”木”なら自己中心的で、”火”なら感情的で、”土”なら慈悲深く、”金”なら狡猾で、”水”なら知的で、というようなレールがあって、自分軸、レール、老年レール、それぞれが全て違う性格になっている人もいるし、同じような性格になる人もいる。特に、全て違う性格になる人の場合は、成人期から中年期、さらには老年期にかけて、全く違う性格になっていくので、それを自分でも理解していないと、成人期、中年期と同じように考えていては、ズレていってしまうということだ。

 

もうひとつの秘訣は、「過去世を知る」ということだ。人間の一生は、今世だけではない。何百回、何千回という輪廻転生を魂はしており、その魂が肉体に入り込んでいるのであって、”自分”という精神を司っているのは実は”魂”なのだ。だから、魂の記憶として、過去世の記憶がだんだん蘇ってきて、本当に今世でやりたかったことが明確になってくるのがこの老年期というわけだ。前世という考え方を拒む人もいる。幸い、日本人は宗教的にも、受け入れやすい人種なのであろう。それゆえ、この「過去世を知る」ということが、本当にやりたかった欲求とは何なのか?ということを教えてくれるカギになるのだ。

 

だから役員は、算命学などの知識だけでなく、輪廻転生、過去世、魂、というようなスピリチュアル的な概念をも受け入れる必要がある。今までの社会では決して議論にすら上がらなかった概念だが、これからの時代は、このような概念を無視できないということだ。ティール組織、続・ティール組織への移行に際しても、このような魂という概念が頻繁に出てくる。愛という概念も出てくる。このように、今まで決して議論されてこなかったような概念が、新たに会社に入ってくるのを、拒むのか、受け入れるのかは、役員の度量しだいなのだろう。

 

 

いかがであろうか。まずは、発達課題第8段:統合性の課題を抱えた人に、いかに心を開かせるか、という話であった。決して会社にやれることは無いわけではない。会社も受け入れる土壌を作っていくという作業があるということだ。とても時間がかかる課題なのだ。個人と共に、会社も同様になって、「自分軸を知る」、「レールに乗る」、「老年レールに乗る」、「過去世を知る」を徹底的に学ぶことこそが、心を開く方法であった。

相手を動かす方法(波動レベル7)

先に、相手(複数)を動かす方法について記載した。今回は、相手(個人もしくは個別の部署)を動かす方法(波動レベル7)について記載したい。

 

相手が個人もしくは個別の部署の場合は、テンポ良く語るというよりは、傾聴し、相手のやる気を引き出すことが主眼となる。語りは少なく、語り:傾聴の割合は、2:8の割合程度であろう。先の相手が複数の場合は、語り:傾聴の割合が、8:2の割合程度であったことを考えると、全く違うということがわかるだろう。その違いを認識しながら、しっかりと対処していかねばならないのだ。

 

・発達課題第7段:世代性

次は発達課題第7段を見ていく。この第7段:世代性の課題がクリア出来ていないと、停滞していき、お酒やギャンブルにはまり、最後は燃え尽き症候群になり、終わっていく。それほど、中年期以降にさらに成長していくのはとても難しいということだ。若い世代の男女に受け入れられなければ、世代性はクリアできない。受け入れられるためには、柔軟になり、自分をさらけ出し、持てるスキルを伝承し、世話をし、ということをしていかねばならない。そのようなことを怠ると、途端に若い世代から距離を置かれてしまい、停滞していくということだ。詳細はこちらを参照ねがう。

 

中年期に重要となるのは、“仕事・家庭・子供や後輩達との出会い” だ。「世代性」とは、 “次の世代” を育むという事に積極的に関与したり、関心を高めるというような意味があり、子供がいる家庭においては、自分の子供を育てると言う経験が当てはまる。職場などの場合では、後輩達の教育や伝承などが当てはまる。「家庭」の中での子育てはもとより、「職場」などを通じて、“自分自身がこれまでに経てきたもの、深めてきた事” を 「次の世代」 に託すといった意味が含まれていて、自分の経てきた事を身近な存在に伝承(指導したり・関心を占めす)することによって、親密な存在を自分たち自身でつくり出していきたいという心の育みの時期でもある。その過程の中では、自分を犠牲にしながら成長を援助してゆく場面も見られる。そうしながら育まれてゆくのは 「世話する心」 。

そして、子育ての完了を経て、生活スタイルはいよいよ 「家庭志向」 から、「自分志向」 へ変化し始める時期でもある。この時期に 「世代性」 を持つには、自分自身が確立されていなければならない為、“自分を磨いたり、能力を高める為の努力”や“深み” を持っていないと、それを「次の世代」に託せなくなり、場合によっては、社会的にも 「停滞」 してしまう傾向がある。また、次の世代を育成することに関心を持てないでいたり、個人的にも満足感・充実感は得られにくく、それ以前に託そうとする意識も育まれにくくなる。

 

そして、この時期には、 「中年の危機」 といわれるような問題が顕在化し始めていく。大きく2つの視点から考えてゆくと、
1.『いろいろな事に限界を感じ始める時期』
「体力の限界」「能力や可能性に対する限界」「若い頃描いていた理想像への限界」 ・・・等々、いろんな意味での限界を感じ始める時期となる。その為に、自分の人生を問い直したり、アイデンティティー(自己の同一性)を再確立しようとしたりする傾向も出始め、その過程で悩み、鬱などの症状を発症する事もこの時期の特徴だと言える。 
2.『自分の内なる異性との折り合いをつける時期』
 自分が思い描いていたように生きられなかった背景として、自分の心の中の異性としての感情と結びつきやすい反面がある。自分が “置き去りにしてきた部分の生き方” に関心が行き始め、そういった意味では自分の内面的な心の感情と統合していかなければならない部分が出始めていく。

このように 「中年期」 には、今まで未解決だった 「課題」 が再現されやすくなっていく時期でもあり、そういったものと向き合うことで心が育まれ、次の段階への以降をスムーズに迎えられるのだ。

 

大人になっても第7段:世代性の課題が残ったままの人の場合、「停滞性」の心を多くため込んでしまっており、寂しさ、空しさに耐えられない状態になっているのだ。だからこそ、お酒やギャンブル、愛人にはまっていくのであろう。最近の若者は!と言いながら飲んだくれ、死んだ鯖のような目をしたサラリーマンの多くは、この「停滞性」に苦しんでいると言えそうだ。それほど今の若者は価値観が異なる。そこに受け入れてもらえるには、相当な柔軟性を持っていないと難しいかもしれないが、「停滞性」をクリアしていくには、それが必要なのだ。

 

しかし、会社にはいろんな人がいる。決して愛に満たされ、波動レベルが高い人ばかりではない。むしろ、上記のような発達課題第7段:世代性の課題が残ったままの人は、3割までとはいかないまでも、結構な人数いるのかもしれない。そのような人を、燃え尽き症候群だから、という理由で排除し、解雇していたら、会社は存続できない。このような方も立派な社員の一人なので、受け入れる必要がある。

 

じゃあ、どうすれば良いのか?どうすれば心を開いてくれるのか?疑問に思うだろう。普段、酒を飲むことばかり気にしている人を、どうして救済しないといけないのか?わからないという役員も多いだろう。「停滞性」が過剰な人の場合は、不倫や風俗通いをし、家庭をも崩壊させることになりかねない。そうすると、仕事も手につかず、本当に窓際族と呼ばれるような仕事ができない状態にまでなってしまうのだから、役員は、会社には不要だと思うだろう。今のうちに左遷しておかねばならないと心から思うかもしれない。

 

秘訣は、「レールに乗る」を目指すことだ。先の第6段「自分を知る」は、自分軸つまりは算命学の十干を知り、その十干にしっかりと乗っていくことであった。今度の第7段は、”月支元命”(別名:レール)と呼ばれる軸に、今度は乗っていくことを目指せば良い。”木”なら自己中心的で、”火”なら感情的で、”土”なら慈悲深く、”金”なら狡猾で、”水”なら知的で、というようなレールであって、自分軸とレールが全く違う性格になっている人もいるし、同じような性格になる人もいる。特に、全く違う性格になる人の場合は、成人期から中年期にかけて、全く違う性格になっていくので、それを自分でも理解していないと、成人期と同じように考えていては、ズレていってしまうということだ。

 

成人期が”木”で自己中心的に振る舞ってやれていた!としよう。しかし、中年期には”土”で慈悲深くの性格に変わっているにも関わらず、同じように自己中心的に振る舞っていては、レールに乗れないということだ。本当は中年期から徐々に慈悲深く、自己犠牲的な言動が増えてきて、後輩におごったり、部下を面倒みたり、情に厚い親分のような存在にならなければいけないのに、まったく無関心に自己中心的に言動していたら、算命学のレールからは大きく外れてしまうということだ。このことを知っていると、自分軸、レールが、どのような性格であり、どのように言動すれば良いかをあらかじめ知れるので、対処ができるというわけだ。

 

だから役員は、算命学などの知識を有し、自分の軸は何で、レールは何で、どのような言動をしてくるのかを、あらかじめ予測しておく必要がある。成人期までは”知的で優しかった”のに、中年期には”感情的で激高する行動が多く”なったことに驚くかも知れない。これは成人期:”水”⇒中年期”火”という具合に変わっていったことが原因なのだ。こういうことを知っておくと、対処ができるということだ。知っておかねば、”あいつもえらく人が変わったなあ”とぼやくことになってしまうのだから。

 

そのためにも、「レールに乗る」ということをやらせる必要はあるだろう。算命学を学んでもらうのか、知識有る人に教えを請うのか、いずれにしてもそれが最も近道だ。そうでなくても陰陽五行説などの本を読むなど、独学でもしっかり理解は出来うる。とにかく知らないことには前に進まないのだから、その助けを管理職がしてあげるべきなのだろう。最終的には、レールに乗って、若者にも受け入れられ、持てるものを伝承していくことができれば、クリアに至る。そこまで徹底的に「レールに乗る」を学ばせてあげるという覚悟を持って、役員であるあなたは、その人と対峙してもらう必要があるということだ。それが役員の役割なのだ。

 

期間は20年程度はかかるかもしれない。中年期は先までの幼児期よりも圧倒的に長いので、長い時間、「停滞性」にさらされていたので、それと同じ期間だけ、学びの期間が必要と言うことだ。根気強く、その相手と関わっていかねばならない。窓際族になるかもしれないが、第7段:世代性をクリアした暁には、高齢者であっても貴重な戦力となるのだから。

 

 

なお、これは個別の部署の場合でも同様だ。役員が個別の部署の部長と面談しているとしよう。どうしても窓際的な部署がでてくる。もう部長を交代するしかない!と思うかもしれない。しかしそうではないのだ!結局は、部長という個人が、上記のような発達課題第7段:世代性の課題を抱えているからこそ、燃え尽き症候群なのだ。それゆえ、役員はその部長の発達課題を解消させてあげないことには、他の部署にとばしたとしても、同じようなことになるということだ。それでは、管理職が育たない。結局は会社が成長していかないということになってしまうのだ。

 

死んだ鯖の目をしたような部長がいたとしよう。典型的なダメ部長に見えるその人が発達課題第7段:世代性の課題を抱えていたとしよう。仕事は出来ないし、定時に帰るし、頭は硬いが、昔は仕事が出来た人だった。そんな部長を、あなたは平社員に戻すのか?それは、あなたが役員の仕事を放棄しているのとイコールだろう。そのような逸材を受け止められない役員が悪いのだ。そのダメ部長は、柔軟にいろんな世代の人々がいて、いろんな価値観があり、いろんな自分の性格もあり、他人もいろいろだ、ということが受け入れられないだけなのだ!レールに乗れていないだけなのだ。だから自分で「レールに乗る」を徹底的に学んでもらうしかないのだ。「レールに乗る」をたくさん勉強させてくれる役員が現れたら、その部長は、蘇るのであろうから。

 

 

いかがであろうか。まずは、発達課題第7段:世代性の課題を抱えた人に、いかに心を開かせるか、という話であった。決して短期間では解決できない、とても時間がかかる課題なのだ。「レールに乗る」を徹底的に学ばせることこそが、心を開く方法であった。

相手を動かす方法(波動レベル6)

先に、相手(複数)を動かす方法について記載した。今回は、相手(個人もしくは個別の部署)を動かす方法(波動レベル6)について記載したい。

 

相手が個人もしくは個別の部署の場合は、テンポ良く語るというよりは、傾聴し、相手のやる気を引き出すことが主眼となる。語りは少なく、語り:傾聴の割合は、2:8の割合程度であろう。先の相手が複数の場合は、語り:傾聴の割合が、8:2の割合程度であったことを考えると、全く違うということがわかるだろう。その違いを認識しながら、しっかりと対処していかねばならないのだ。

 

・発達課題第6段:親密性

次は発達課題第6段を見ていく。この第6段:親密性の課題がクリア出来ていないと、孤独に襲われ、愛人を作ったり、歪んだSM的な愛に芽生えたり、ドラスティックになりすぎたり、という人間になりがちだ。問題は、このSNS活況の時代に、裏でめちゃくちゃやっている人が、ボロを出さずに居続けられるか?ということだ。それは難しいと言わざるを得ない。プライベートが充実していない人は、結局は仕事でもボロをだし、失脚していくことになる。昨今の芸能人の粛正ブームを見ていると、本当にプライベートでも潔白で充実している人でないと、生き残れないことがよく分かる。詳細はこちらを参照ねがう。

 

 

成人期は、「友情関係・パートナーとの出会い・異性」 との出会いが重要な期間であり、社会の一員として就職して働き、恋愛をし、結婚するまでの期間とも言える。この時期に、現実生活を通じて愛する大切な他者を見つける。自分を愛してくれる大事な他者を見つける事によって、特別な魅力と愛情を経ながら親密な関係・相互的なコミュニケーションを形成する時期でもある。様々な “出会い” を通じて、相手の価値観や自分とは異なる異質な部分を認め、尊重しながらパートナーを選び、関係を築いていく ・・・ そして、就職・恋愛・結婚というこの頃に起こる人生のイべントに対応しながら人生がより充実感を育んでいく。

 

しかし、この段階において、自分の気持ちを素直に伝えられず、相手を受け入れる事ばかりに心を向けすぎてしまったり、それとは反対に、自分の気持ちを一方的に伝え続けるような 「関係性」 が強く育まれたしまったなら (相手への支配欲が強くなりすぎたり、相手に服従してしまう場合などの場合には) 、どちらか片方の “親密性” しか育まれない事になり、そうなってしまうと、その心を防衛しようとして 「孤独感」 を強めてしまう場合もある。

また、前段階で獲得すべき 「自己の同一性(アイデンテティ)」 に失敗していたり、確立されていないような場合にも、「相手に依存しすぎてしまったり・・・」、「頼りすぎたり・・・」「あるいは支配したり ・・・」 と、対等な関係が築けずに孤立感を強めてしまう場合もある。

 

この 「成人期」 の段階では、 「親密性 」 > 「孤独」 となることが望ましいとされているが、もし、仮に、 「親密性 < 孤独」 であったとしても、これから様々な “出会い” を通じて表現したり、経験したりする事が出来たなら、それらの危機を克服することにより “愛” が育まれ心豊かにし、次の段階への以降をスムーズに後押してくれる。そうして互いの “自己同一性(アイデンティティ)” を尊重し合いながら 「親密性」 を育てることができたなら、 「親密性」 が 「孤独」 を上回る事ができ 「孤独」 を癒してくれるのだ。

 

大人になっても第6段:親密性の課題が残ったままの人の場合、「孤独」の心を多くため込んでしまっており、寂しさ、空しさに耐えられない状態になっているのだ。だからこそ、感情に蓋をしてしまい、ドラスティックな人間になったり、無感情人間になったりするのだ。欧米の権力者層の多くは、このような症状を発症していると言えそうだ。結局は、このSNS活況の時代に、悪事を暴露され、逮捕されたり、失脚したりしている権力者が最近あまりにも多いのも気になる。ピラミッド型の指揮命令系統である限り、上司が部下に命令するという系統をとる限り、上司は無感情でドラスティックな仕事人間でないとダメだという風潮があるのだろう。このような人は、ティール組織という、指揮命令では無い愛の与え合いの組織、にはついて行けなくなってしまう。何せ、プライベートでも”愛”を持っていないのだから。

 

しかし、会社にはいろんな人がいる。決して愛に満たされ、波動レベルが高い人ばかりではない。むしろ、上記のような発達課題第6段:親密性の課題が残ったままの人は、1割までとはいかないまでも、結構な人数いるのかもしれない。そのような人を、悪事をしているから、無感情だから、という理由で排除し、解雇していたら、会社は存続できない。このような方も立派な社員の一人なので、受け入れる必要がある。

 

じゃあ、どうすれば良いのか?どうすれば心を開いてくれるのか?疑問に思うだろう。普段、裏では悪事を働いているのに、どうして救済しないといけないのか?わからないという管理職や役員も多いだろう。「孤独」が過剰な人の場合は、自己否定し、人に服従するという選択肢を選ぶ。そうすると先のドラスティックな人よりはまだマシかもしれないが、結局は絶対服従する中で悪事にも手を出し、言われたまま悪事をやり続けることになりかねない。その悪事が発覚すると、管理職は責任を問われることになり、面倒だと思うだろう。今のうちに排除しておかねばならないと心から思うかもしれない。

 

秘訣は、「自分を知る」を目指すことだ。自分を知って、自分を愛さない限り、人を愛することはできない。まずはナルシストでも良いので、自分を溺愛することだ。そこから始まる。それには、算命学のような易学を学ぶことも必要だろう。何せ、客観的に統計的に自分を分析してくれるツールなのだから、利用しない手はない。算命学を知ることで、十干・十二支の存在を知る。その十干こそが、自分の軸なのであり、運気でいうところの、大運、年運、月運、日運、時運、すべての運気を司る軸なのだから。この軸を知ることで、自分の性格が統計的に導かれ、”木”なら自己中心的で、”火”なら感情的で、”土”なら慈悲深く、”金”なら狡猾で、”水”なら知的で、というような性格になっていく。

 

この十干という自分軸に乗っていくことが秘訣なのだ。逆らって、”木”の性質を持つにも関わらず、”土”のように慈悲深い行動ばかりしていると軸に乗れないということになる。逆に、”土”の性質を持つにも関わらず、”金”のような狡猾な言動ばかりしていると軸に乗れないということになる。まずは、自分軸に乗ることが先決なのだ。自分軸を知ることが先決なのだ。そうすると、今度は、相手の軸が何かを知りたくなる。相手が自分とは違う軸であると、”へー、そういう行動をするんだ!”と違いを理解できるようになり、受け入れられるようになる。この違いを受け入れるということが極めて重要なのだ。

 

人は、一人一人違うのだ。そして一人の人間であっても、幼児期、児童期、青年期、成人期、中年期、老年期と性格は変わっていくのだ。人生で大きく6回も性格が変わっていくので、先にも記載したように青年期にアイデンティティ拡散という症状に見舞われやすい時期が来る。そこをクリアしても、今度は老年期にまた同じように、統合が出来ず「絶望」という症状に見舞われやすい時期が来る。このことを知っているだけでも対処しやすい。知らないと、なんでこんなに自分は、いろんな性格があるんだろう?と疑心暗鬼になり、自分がわからなくなってしまうのだから。そう、自分という性格は、人生で大きく6つの性格を体験するということを知っておくことが秘訣だ!

 

だから管理職は、算命学などの知識を有し、自分の軸は何で、相手の軸は何で、どのような言動をしてくるのかを、あらかじめ予測しておく必要がある。突然、狡猾な行動をしてくる”金”の軸の人がいても、驚かないようにするためだ。こうして、自分の軸を受け入れ、自分を愛することができれば、他人も愛することが出来るようになる。これこそがティール組織への移行の最大のポイントなのだから。

 

そのためにも、「自分を知る」ということをやらせる必要はあるだろう。算命学を学んでもらうのか、知識有る人に教えを請うのか、いずれにしてもそれが最も近道だ。そうでなくても陰陽五行説などの本を読むなど、独学でもしっかり理解は出来うる。とにかく知らないことには前に進まないのだから、その助けを管理職がしてあげるべきなのだろう。最終的には、幼児期の自分、児童期の自分、青年期の自分、成人期の自分、それぞれが違ってても自分なのだ!という統合ができるところまで行かないと、クリアには至らないのだが、そこまで徹底的に「自分を知る」を学ばせてあげるという覚悟を持って、管理職であるあなたは、その人と対峙してもらう必要があるということだ。それが管理職の役割なのだ。

 

期間は20年程度はかかるかもしれない。成人期は先までの幼児期よりも圧倒的に長いので、長い時間、「孤独」にさらされていたので、それと同じ期間だけ、学びの期間が必要と言うことだ。根気強く、その相手と関わっていかねばならない。ドラスティック過ぎて心が折れそうになるかもしれないが、第6段:親密性をクリアした暁には、賢者として、会社をリードしていく存在になる可能性が高いということだ。

 

 

なお、これは個別の部署の場合でも同様だ。役員が個別の部署の部長と面談しているとしよう。どうしてもドラスティックな部署がでてくる。少しでも未達な部署があると解体を叫ぶので、うるさすぎて、もう部長を交代するしかない!と思うかもしれない。しかしそうではないのだ!結局は、部長という個人が、上記のような発達課題第6段:親密性の課題を抱えているからこそ、ドラスティックなのだ。それゆえ、役員はその部長の発達課題を解消させてあげないことには、他の部署にとばしたとしても、同じようなことになるということだ。それでは、管理職が育たない。結局は会社が成長していかないということになってしまうのだ。

 

外資系金融機関の上層部のような部長がいたとしよう。徹底的にドラスティックに見えるその人が発達課題第6段:親密性の課題を抱えていたとしよう。徹底的に相手と戦うし、弱みは見せないし、感情は無くまるでロボットのように振る舞うのだろう。そんな部長を、あなたは平社員に戻すのか?それは、あなたが役員の仕事を放棄しているのとイコールだろう。そのような逸材を受け止められない役員が悪いのだ。そのドラスティックな部長は、幼児期の自分、児童期の自分、青年期の自分、成人期の自分、それぞれが違ってても自分なのだ!という統合ができていないだけなのだ。自分軸に乗れていないだけなのだ。だから自分で「自分を知る」を徹底的に学んでもらうしかないのだ。「自分を知る」をたくさん勉強させてくれる役員が現れたら、その部長は、大化けしていくのであろうから。

 

 

いかがであろうか。まずは、発達課題第6段:親密性の課題を抱えた人に、いかに心を開かせるか、という話であった。決して短期間では解決できない、とても時間がかかる課題なのだ。「自分を知る」を徹底的に学ばせることこそが、心を開かせる方法なのであった。